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とりあえずジュネーブをうろうろしてます。
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完全に飽きた。でも、明日までこの話は続ける。

 

 

執刀医の突然のもの言いで、一日のうちに2回の術式が行われることになってしまった。

 

つまり、一石二鳥か。いや、ちょっと意味が違う。いずれにせよ、二度の手術を同日に、ということだ。

 

公立だから、効率が重視では洒落にもならないが、それもいいかもしれないと思った。でも、身体に負担が掛かるのではないかと不安になり、専門医Dr.Mに電話してみるも、もはやオフライン。

 

もう、この執刀医を頼るしかない、と腹をくくると無償に腹が減って来た。まだ入院着に着替えていないので、普段着でいると、病院に近づく妻から再び電話。そう、スイスの病院内では携帯電話が使えるところもある。

 

妻を病棟に迎え入れると、「この後、ベルギーから来ている職員のために皆と食事に行くことになっている」という。

 

看護婦に「拙は外出していいか」と聞くと、執刀医に聞かなければならないと言われたものの、わずか3分以内にOK取得。

 

「朝、7時までに帰って来てね。でも、12時以降の飲食はだめよ」

 

「ガッテンだ。でも、門限はないの?」とちょと意外だったが、自己管理ってのは当たり前だよね。最近日本じゃ自己責任って言うのか。変な言葉。

 

お陰で、ジュネーブ界隈のレストラン、L’evidenceで皆に合流。

 

「あれ、病気じゃなかったの?」と妻の同僚たち。

 

「飯は食える病気さ」

 

その場で2時間ほど楽しむ。美味い、楽しい。この日終日病院に閉じ込められていた憂さを晴らす。ベルギーから来たTはゲイだった。190cmの大男だが、眉毛はキレイに抜いている。アメリカの俳優スティーブン・セガールを思い出させるが、ゲイの中では美形と言えるかもしれない。でも、興味ない。拙はヘテロ。

 

宛がわれたベッドのある病室には6名の爺さんがいたことを思い出す。あんまり遅くなって、物音を立てたら悪いな、と10時半には帰宅。いや、帰病。奇病みたい。

 

病院の門前でもう一杯やってもいいかな、と周囲を散策。バーはないので、レストランでダブル1杯をねだって、ぐぃっと。これで眠れるだろう。

 

これから施術まで飲食は禁止なので、一気に1㍑の水を煽る。溺れるかと思ったけど、大したことないのね。でも、ウィスキが薄まってしまった。タバコ臭い身体のままベッドに進入、ってホントに患者かよ。

 

WRSWorld Radio Services)を聴きながら、うとうとしていると、患者に話しかける看護婦のでかい話し声。なんでそんなに大声なの?? 時計をみると2時。3時間前に1㍑飲んだのに喉が渇いていた。けど我慢。明日は麻酔で一日寝ているだろうから、何時に寝てもいいのだ。

 

でも、起こされたのは何時だろう。暗闇の中、フランス語で黒人看護婦に揺り動かされ、思わず「うわっ」と叫んでしまった。黒人なので「ジャンボー」と言ってみたが、それには反応せずにフランス語でシャワーを浴びろと言っているのが判った。確認のために「英語で…」と言うと、「あー、んー、シャワー」とのこと。手術着の着替えとタオルを渡される。

 

「手術前に何故シャワー」と思いつつ、時間を掛けて洗う。

 

病室に戻って、乾燥肌予防のクリームを塗ろうとすると看護婦にダメと言われた。そうか、表面の油や脂が手術時に邪魔になるのか。

 

「これを飲むとリラックスします」と言われ、小さな錠剤を僅かの水で流し込む。暗闇の中で待つ拙はちらちらと時計を見やる。10分、20分…。



 

 

Let me go toilet

 

おぼろげな意識の中で、確かに拙はそう叫んだ。難しい英語ではないだけに覚えている。夢の中で英語を話すのは珍しくないが、夢うつつの状態。眠りを妨げたものは下腹部の痛みと異常な圧迫感だった。叫んだ拙のところに近寄ってきたのは白衣の男性。注射シリンダから何らかの液体を拙の輸液管に流し込む。「それは何だ」と尋ねると「モルヒネ」

 

え、手術終わったの?

 

と思った途端にまた深い眠りの世界へ。

 

もう一度同じ痛みで覚醒。

 

「とても痛い」と発言すると、またもやモルヒネが注入される。「何時?」と聞くと、時計を見せてくれたが、あいにくメガネを外している。英語で数字は言い難いのか。ベッドが手術待合室から病棟に戻される。次第に意識がはっきりしてくるが、どうもハイテンション。やったことない作曲活動をしていた。やっぱ、モルヒネか。企画案や小説案でもモルヒネは有効か?

 

よく見ると拙はいくつかの管と繋がっていた。亡き父の最期の姿を思い出す。病室の時計は13時半。いつも水泳に行く時間だ。こんな管だらけで泳いだら、きっと誰からも嫌われるだろうな。とくだらないことを考え始めたので、極限状態は脱したのだろう。でも、カテーテルは痛かった。

 

手術が終わってまだ3時間というのに、看護婦はカテーテルを外すと言う。怖いなあ、と思うのものの、いずれはお別れするべきである。膀胱を圧迫する風船から空気を抜いて、引き出す際には、「息を大きく吸って、吐くタイミングで抜くからね」と若く美しい看護婦。こんな血まみれの汚いオジサン相手に彼女もいい笑顔だ。でも、昨日の女医の方が格段に別嬪だった。どうでもいいけど。

 

盲腸でも経験したことがあるが、カテーテルを抜くこの一瞬はたまらない。いえね、辛いという意味で。息をゆっくり吐くつもりだったが、「ハァ~アー、ア~ァァァ~」という情けない声が出てしまった。この一撃で麻酔から完全に覚醒。でも、まだ完璧の肉体に戻ったわけじゃない。

 

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ちょっと飽きてきたが、備忘録なのでお付き合いいただく。まだ、退院までに経験したスイスならでは(?)のことがたくさんある。

17
12時ごろ、昼食が出された。部屋も決まっていないのに、受け取ったプレートにはしっかりと拙の名前が印刷されていた。そういえば、朝食も出されたがそれにはAnonymous(匿名)と書かれていた。英語とフランス語はたまにスペルが同じなので助かる。

 

味のないマカロニパスタとインゲン、そしてビーフシチュー。デザートにシャーベット。シチュー以外は不味い。誰かが、スイスの病院食は英国よりはマシだと言っていたが、う~む…。

 

12時半麻酔医と話す。ドイツ系のカワイ子ちゃん。TL氏のことを思いだす。彼女がここに居てくれたら…。麻酔医の彼女、手術のことをInterventionと言う。まあ、この場合それもありかなと思うものの、そんなに軽いものなの?とも思う。麻酔に関する諸般の質問を受ける。生まれはどちらですか?ってのは関係なかっただろうな。

体重を聞かれたので、逆に何キロだと思う?と尋ねかえす。聞き返されたのは初めてだと言うので、日本の麻酔医師であれば、一目見ただけでヒトの体重と身長が判るんだよ、とテレビドラマ「医龍」の受け売り。その後、ネタを明かして「医龍」が英字幕付きで
Youtube系で観られることを教える。すると、ドラマ「医龍」を友人から聞いたことがあるとのこと。日本のドラマがスイスにも知られている?る?

 

15時になって看護士からベッドのオファー。この頃までに諦めの気分へと落ち着き、考えが整う。入院が確定したら使わせてもらうが、確定でなければベッドを汚して職員に迷惑を掛けたくないと伝える。

 

1520分、担当医であるDr.Mに電話する。

今回の一連のドクターは、主治医、専門医2名、全員で3名。まず主治医から専門医Mr.Mを紹介され、診察を受けた。その後、手術の段となり、私営か公営どちらかの専門医の選択を提示された。両者の違いは治療費と医療サービスのレベル。

Dr.M
今回の治療の執刀医になるはずだったが、「Dr.Mの働く私営」と「今拙の居る公営」とでは治療費に最小で30倍の差があったために、公営の病院をDr.Mから照会してもらったもの。Dr.Mに朝から今までの経緯を説明すると、さもありなんとのこと。しかし、術後X時間で退院可能という看護士の言葉と、まだこの病院で担当医に会っていないことについてDr.Mは懐疑的だった。

 

貧しい者は時間を使って耐えるしかないのか。短時間内に優先、且つ快適なサービスを受けられるという点で、私営の方が良いと思うが、設備が充実しているのは公営という話が大勢を占めていた。しかも、公営では大学と繋がっているので、医看ともどもやたら研修生が多い。彼らは大概の場合、経験者に付き添っている。

 

15時半、20歳くらいにしか見えない白衣の女性が現れる。15歳と言ってもだれも疑わないだろう。肌がきれいで、顔立ちもすっきりした美形。笑顔もかわいいし、身長は150cmくらいしかないだろうか。

 

「アナタのベッドが決まったから、ちょっと診察させてください」

 

「え、決まってないよ。ここには僕よりもプライオリティになるヒトがいるかもしれないという話なので、今の段階では明日の早朝か、術前に来ればいいと聞いている。それに、執刀医が仕事を終えて、ここに来るまで何も判らないんでしょ」

 

「私は執刀はしませんが、研修医としてアナタを診察するように指示されたんです。ベッドのことは使用許可が出ているので大丈夫ですよ。簡単な質問に答えて、少しだけ診察させて下さい」

 

やたらと若く見えるし、頼れるのか?そして、たどたどしい英語だが、しっかりした意思が感じられる彼女はDr.P

 

ベッドが確認されると、カーテンを閉めたDr.Pは裸になれと言う。上半身の触診を終えると、パンツを脱げと言う。なぜトラウザーとかパンタロンと言わないのだろうか、と思っていたら、本当にパンツを脱げという意味だった。

 

心の準備と言うか、医師とは言え、女性の前で○ん○んをさらけ出す準備が出来ていないのに、仰向けになった拙のパンツを下げたのは彼女自らだった。「あ、縮んでいる」とは言わなかったが、なんとなく縮んでいたので、狭い空間とは言え、日本代表としては少々残念だった。

 

Dr.Pは臆面もなく、拙の下半身をまさぐるように診察した。中でも、コーガンと太ももとの間に指を置いて、「咳をしてみてください」と診断したときは、これで尿管の状況を調べているのだなと判った。美人なのに手は冷たくなかった。

 

次に、「横向きになって」と言うと、おもむろに前立腺付近をチェックし始めた。拙の問題箇所は前側なのに何故?と思ったものの気持ちよかったので、質問しなかった。47年の生を受けながら未開発の部分を20歳そこそこの研修医が見つけるとは恐ろしいって、そういう話じゃない。

 

父親のような年齢の、身も心も汚れたオジサンの身体を、まな板の上で生サバをさばくように診察するDr.Pは見かけ以上に心が成熟していると思った。かわいい美人だけど、幼く見えると言われて、プライドを傷つけられて来た人生なのかもしれない。だから、気丈なのかもしれないし、頑張っちゃうのかも。あるいは、根っから医師になるほどのタフガイ?、それともスイス人だからか?なんににしても、けっこう気が強いんだろう。そーいう部分は知りたくない。と、勝手に想像してみた。

 

でもなあ、研修医ひとりにこういう診察させるか、普通?? その後、Dr.Pのことは見かけなかったし、看護士たちも彼女を知らないと言う。一体なんだったんだろう?マボロシだったのだろうか。

 

その後、担当医を待つ時間が続いた。妻は見舞いに来るかどうか迷っていた。拙が一時的に帰れるかどうかで、見舞いか仕事の継続かを考えていた。妻に「まだ判らないが、来れば」と連絡して30分後に変化が起きた。

 

1845分ごろ、スイス人の執刀医が来た。

 

「問題箇所はご存知のように2つありますから、明日は2つともやっちゃいましょう」

 

「え、やっちゃいましょうって?」

 

「ええ、除去と破砕との両方です」

 

「でも、主治医と専門医は別々に、と言ってましたが」

 

「大丈夫です。問題ない。明日8時に執刀ですから、7時までに準備しておいて下さい」

 

そういい残すと、執刀医はそのままスタスタと去ってしまった。

「あれれ?」


昨日の続きの前に、状況説明。拙は石持ちであった。諸検査の結果を診ても、コトの他健康であるが、体内にクリスタルを作りやすい特性がある。普通はおdebちゃんやぜーたく君がなりそうな病気であるが、それは偏見というものだ。

特にぜーたくの定義は時代とともに変化するし、何をもって贅沢というかは人それぞれだろう。拙は子供のころ、銀鮭といくらや筋子でご飯を食べていたが、それは安かったからだ。でも、今は高級食材でしょ。

 

尿管が簡単に詰まってしまうほどの巨大な石を2箇所に抱えていることが判ったので、それらを除去するには、「取り出し」と「破壊」との2つの施術が必要になった。ちなみにそれらを除去しなければ、腎機能の低下や炎症を起こす。致命的ではないにしても、激痛が始まり、腎機能が一時的に低下したときは顔面がチアノーゼに見えると言われたほど身体への負担は大きい。おまけに、拙はその痛みと何ヶ月も闘って来た、と言うか仲良くして来たのだ。手術が決まるまで、何ヶ月も掛かってしまった理由は後述するとして、痛みは友達じゃない。拙の友達は傷みや痛みから救ってくれるヒトたち。

 

場面は、昨日の続きで病棟の茶話室から。

 

頑固者で、考えを曲げないスイス人を泣かすなんて、なかなか出来ることではないそうだが、健康や生命に関わる以上こちらも必死だ。若い看護士は一生懸命になって答えた。

 

「お気持ちは十分お察しします。日本や英国ではこんなことはなかったかもしれません。でも、この病院はスイスの公立ですから、出きるだけ万人に平等にサービス提供するために、こういうことがよく起きるのです。私たちは決定できる立場ではないので、仰ることを担当医に伝えます。そして、今から出来るだけの検査をさせて頂きます。但し、明日になる以上、現時点でベッドは確保できませんし、同じ状況のヒトが3名居ます。担当医も今日の何時にアナタと話が出来るか判りません。担当医と話して、ベッドが確定するまでこの茶話室で待機していて下さい」

 

「こんなこと、昨日以前の時点で判っていたことなんじゃないの?」

 

「判っていましたけど、出来るだけ早く治療を受けて頂く為には、こうやって病院で待って頂く事が最良の方法なのです」

 

「そうじゃないだろ。連絡するとかえって面倒くさくなるから、こうしてとりあえず来させているだけだろ」とは言わずに、不承不承そのまま担当医を待つことにした。

でも、病因さえ見つけようとしなかった英国の
GP(主治医)よりはずっとマシかもしれない。国民健康保険のシステムがどんなにダメであっても、医療をちゃんと見据えた医師がGPとして働くならば、正しい診察へと導かれる筈と思う。今回ここまで病根をたくましく育てたのは、英国の国民健康保険のミスと言って憚らないではいられない。あ、舌がもつれる?

 

 

117日から18日という短い時間の話である。この間の出来事は拙の経験したスイスであり、医療であり、牧歌というけっこう勝手な人間だが、「ことの本質は何?」と考えることが好きな人々には楽しいのではないかと勝手ながらに思う次第。

 

 

117日の朝6時、兼ねての予約に間に合わせるべく、阪神大震災のことを思い出しながら味噌汁ご飯を掻き込む。カツヲ節と昆布の併せダシをスイスで食べられる日本人は幸せな筈だ、と言い聞かせているに過ぎない。これからの2日間のことを思うと既に過去のことになってしまった阪神大震災よりも気が重い。被災者にしても将来は過去以上に思いがあるし、重いものである。震災後は「頑張りましょう」と励ますボランティアの朗らかな自身があったが、自分のこととなると大した病気ではなくても気が重い。

 

なぜなら、言葉の通じる日本や英国ならまだしもここはスイスである。フランス語圏のジュネーブである。医療従事者がどれだけ英語を解するか、拙が個人的に統計を取っても30%に満たない。巷の買い物レベルであれば、70%は通じるかもしれないが、医療では英会話のレベルが下がる。言葉の判らない医療機関に世話なるなど、こんなに怖いことはない。

 

病院での治療後は運転できない可能性があるので、公共交通を利用。遅れないはずのスイスの電車が出発時刻を5分過ぎても現れない。なんだか英国に戻ったような気分。それでもアポの時間ギリギリに到着。血液、心電図などをチェックしてから、入院病棟に案内される。手術は午後で、午前中はテストということだから、待ち時間も覚悟していた。

 

昼近くまで掛かって諸検査が終わる。ここまでは日本と似ている。英国はもっと効率が悪いと考えながら、入院病棟の茶話室で次の指示を待つ。

 

2名の若い看護士(スイス人)が現れる。

 

「よくあることなんですが、手術は明日になりました」

 

「え、よくあること?何がよくあるんですか?今日の予定が明日になること?それとも、予定が変更になること?」

 

「え、…と。明日行われるとは思うんですが、朝になるか、午後2時ごろになるか…」

 

「君の意見を聞いても仕方ないんだが、私は緊急性をもって入院した患者だよね」

 

「そうですが…」

 

「僕よりも緊急を要する患者がさらに後から出てきたということでしょ。なら、僕はこのまま死にますから、どんどん緊急の患者を治療してくださいよ。その代わり、この病院の悪名は世界中に広まるようにしてあげますから」

 

看護士は二人とも泣きそうになる。

 


17日の外泊話を始めようと思ったが、いきなり予定変更。

もうくたびれているが、一応備忘録をば。

19日は、ジュネーブ空港に隣接するPalexpoで開催された軍事品フェアに参加。

息子が学生教練隊に入隊するので、寝袋など必要なものを購入。

中古の半長靴(はんちょうか)が4000円程度と安かったが、他のものは特に安いわけではない。

半長靴の魅力は足が5トンの重みにも耐える鋼鉄で保護されること。建設現場では必需品だが、ちゃんと履いているヒトを見たことはない。軍隊では皆大事に使っている。ゼネコン職員時代に、持っていたので欲しくなったが、買ってもどこで使うものか?

拙は700円で虫眼鏡を購入。これは拙自身の老眼対策。直径10cmは使い安いし、値段も安い。



夕方からは、寿府日本人倶楽部の新年会に参加。

会場はケンピンスキーホテルを借り切って、250名ほどの参加者。

ホテルのグレードなど調べれば判ることだが、拙の経験で言えば、5☆クラスのホテルだ。

誰彼わからずとも頭を下げる。それは邦人社会での礼儀。

ブログ友の家族に会い、挨拶。電話口でお世話になったジェトロの方に挨拶。既知の人々に会い、挨拶。こうしてみると、たった3ヶ月でけっこう既知が出来たなあ。

おまけに、

「ああ、あのヒトはどこそこで見たことあるなあ」と思う。

つまり、こちらも見られているわけで、2600名の邦人社会はロンドンの6万名とは比較できない。

この日はテーブルに着いたメンバーに恵まれた。

UNCTADの夫婦、科学者、近所の奥さんとそのご友人、関西出身のTさんそれぞれ在ジュネーブがとても長い。そして、楽しい人々。彼らにジュネーブの楽しみ方、暮らし方を伝授してもらいたいものだ。

数ヶ月前にジュネーブに着いたばかりの頃、Divonneというフランスの市場で刺身マグロを購入する日本人夫婦を見かけた。奥さんが買う様子を見て、そのまま店員に同じものを頼んだことがある。そして、ご主人に「まだ来たばかりなんですぅ~」と話しかけ、「また、いずれ」と分かれた。そして、この新年会ではそのご夫妻に声を掛けていただいた。うれしいハプニングもあったものだ。

会に参加した目的は、新たな邦人コネクションの発掘。それは叶った。会自体もかなり長く続くものだし、協賛企業、スポンサーも多くて少々驚いた。似たようなパーティは拙もロンドンで何回か主催したので、そのご苦労はよく判る。会としてはよく練られて、成熟していると思った。

唯一残念だったのは、アペリティフを有料にすれば、食事中のワインは途切れなかったのではないか、ということ。来年も参加したい。

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