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とりあえずジュネーブをうろうろしてます。
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12月30日から1月1日までの3日間は何の店も開いていない、

と聞いたので、29日に買出しをして1日の晩まで持ちこたえた。2日には生鮮野菜を入手せねばならない。拙宅では新鮮な野菜が不足すると冷蔵庫が空になるのだ。スイスのスーパーは新鮮野菜の種類がイマイチ少なく、鮮度自体もちょと怪しい。賞味期限を待たずに萎れていたりする。

そういえば、同い年とは思えない人間もいるもんなあ。野菜も同じかもしれないが、彼らは賞味期限が切れたわけではない。食べても美味くないだろうし。

で、1月2日妻は出勤。拙は送迎を兼ねて水泳、買い物、洗車をしに行くと、まず水泳は予定通り。国連近くのプールは初泳ぎ者でごったがえす。日本ならお節で朝から一杯やっているのに、これは至極、あれは究極。

買い物の前に洗車をしようと、スイスで初めてジェットウォッシュを試みる。水泳後30分間は汗だくになるので、半袖なのに-2度の外気でも汗が流している。ジェットウォッシャを片手に車の周りをくるくる回る。待ち列の車内では子供たちが半袖姿の拙を指差す。「こんなに寒いのに、バカやん」とフランス語で囃し立てているのだろう。こっちはきっちり鍛えているので、寒くなんかねぃよぉ、と上腕に力瘤を作って、胸筋ピクピクを見せるアホ親父(とはヒトには言われたくない)というものの、10分と持たずクシャミがでることを見越して洗車を5分で終了。

で、買い物の段になって、スーパーミグロの立体駐車場に入ると、あれれ、車がほとんどない。拙のセロリ、赤カブ、ロケット、パセリ、チコリ、レタスはどうなる?と不安を抱きつつ店内へ。「あれ、映画館以外なにも開いてないよ」と息子。

1月2日も休業なんて、当初情報と違うじゃないか。近所の他店に行くと、同じ状況。仕方なく、フランスへ。難民になったような気分だが、糧を求めて彷徨う自分、これが難民の原理かもしれない。フランスに行くと、店は開いていた。ボンジュール、頂戴そのセロリ。

その後判ったことでは、ジュネーブでは1月2日は祝日なのだそうだ。隣接する街街では、フランスも含めてどこも店は開いていたらしい。日本では6月2日だけヨコハバ市民が休むアレに似たようなものか。アレとは開港記念日。でも、1月2日にしたって子供には喜ばれねいぞ。

こうして、今年もやはり「なんで?どうしてそうなの?」という気分で始まってしまったような気がする。一不治、二高、三茄。すなわち、フランス語を学びたくない気持ちは癒えないし、物価の高さでドタマに来るだろうけど、好物の茄子味噌炒めは年中味わえるので今年もばっちり。

本年も残すところ363日であります。って憂う年、ではなくて閏年じゃん。今頃気づいたので、明日はローザンヌのオリムピック博物館へ行って参るつもり。はい、拙の仕事はじめです。

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派手な名前の国際機関がたくさんあるので、ジュネーブとはさぞや凄い街なのだろうとお思いの向きも多いかと思う。

しかし、市内からは10分で湖水浴、15分で国境越えハイキングなどが出来るだけに、その実田舎そのもの。90年代とは言え、ロンドンのナイト倶楽部数件を馴染みに毎晩過ごしていた拙には狭すぎるし、スリルがない。そんなことを言うと、牧歌というネームに疑念を抱かれそうだが、牧歌的なところこそ安らぎを覚える心の拠り所でもある。

日本の牧歌的な拠り所と言えば、農林関係の利権が行き交うカミヤ町のパストラル(牧歌の意)だろうか。かつて、気に入られていた上司に、「行っておいで」と言われて、券を渡され、「先生、万歳!」と叫ぶ秘書のプレゼンが終わると千名は居ようかと思われる参加者は誰とも目を合わさずに立食の高級食に被りつく。先生と呼ばれる政治家はその会場の中をニコニコしながら通り過ぎる。烏合の参加者は政治家を一瞥するだけで、目の焦点は箸の先のみ。食べ終わると誰もが誰とも話をしないで、その場を去る。これがパーテーと言えるのだろうか。これではインフルエンザの感染もないだろうな。まるで、公衆便所だ。いっそのこと、政治献金の集金は公衆便所で行ったらどうか。一回の使用料が「小」ならひと口50万円とか。今では環境族という議員も居るそうだし。環境問題を政治(=利権)で動かされたら、もうどうしようもない。牧歌的風景の拠り所は地球の在り方そのものなんですぞ、と。

牧歌という言葉からだいぶ脱線。

本日はジュネーブから車で40分の地、La Givrineに行って来た。12月29日を最後に1月2日まで何も店が開いていないという情報を仕入れて来た妻の言うことを聞くがごとく、その間、拙宅は皆揃って病床に寝静まっていた。しかし、ようやく回復した正月1日になって久々に朝食もたんと摂り、天気がいいから山に行こうということになった。そして、出発40分後の景色がこれ。


かっこつけやがった息子。

暖冬ゆえ深い雪とは言えないし、ここまでの行程でチェーンはおろかスノータイヤも使っていない。もちろん、山道は急傾斜、急カーブの連続である。標高1228mだから下界は曇っていても、ここは晴天ということも多い。


しかし、今回はスキーデビューにはならない。この雪道をラケットと言われるもので歩くことにした。これは日本でいうところの「かんじき」そのもの。子供たちはどれくらい効果があるものかと、新雪の上でかんじきを付けたり、外したり、納得するまで試していた



「アホだなあ。体重を受ける表面積が広けりゃ沈まないなんて当然じゃん」という父80キロが歩くとあまり説得力がない。同じ大きさのカンジキを付けても体重の軽い子供らよりも沈むのである。

カンジキを使って歩いていると、幾分X脚で歩くので、膝が痛み出す。そして、だんだんイライラしてくる自分に気づいた。先ほどから横をすり抜ける人々が居るのだ。クロスカントリースキーヤーたちである。滑降用のスキーよりも短く、細いスキー板を駆って、見事な轍を残して滑走しているではないか。


この画像、以下のURLで観られます。まさかウェブカメラと同じ位置から撮影しているとは思わなんだ。これはセンスなんすかね。それにしても、このストックを付いているカンジキ歩行者の影でこの画像はダメダメで、とても残念。
http://www.givrine.ch/index.php?option=com_content&task=view&id=4&Itemid=2


クロカンちゃん、なんかいいなあ、と思った。滑降は膝痛の問題があるから難しいけれど、これならいけるのではないか、いや絶対にやれる。どうしよう、もうやりたくてしょうがなくなってしまった。

すると、これから必要になるものは、靴とスキーとストック。他の備品はほぼ整っている。さて、e-bayを物色するか。 あ、これから雪が深くなればスノータイヤも必要か。 ええと、コストは・・・?

来年からは毎年、スイスを無視して絶対にグレートケイマンに行くと叫んだ誓いが元旦にして崩れた・・・のかもしれない。



帰途の景色。レマン湖対岸のモンブランに三重の傘雲。幻想的風景だったんだけど、撮影の技術不足は許されたし。


クリスマスにはけっこうお呼ばれがある。

在スイス英人社会はクリスマス期間にけっこうジュネーブに残っている。

どうやら親類縁者がスイスに来たがるらしい。

招かれているうちに、スケジュールが詰まってしまい、

こちらからお招きする日程が立たなくなってしまった。

連日の飲み食いは正直なところけっこうきつい。

招かれた席では何も食べず、帰宅してから一人お茶漬けをすするなんてこともある。

このお茶漬けの幸福感、判るかなぁ。

いえね、年齢を経たせいか、どうも脂の食事が苦手なんす。

胸焼け八町、走って八丁って古典落語の世界。

忘れてください。

ともあれ、招かれる以上は、なにかプレゼントを持参しなければならないと日本人以上に体裁を気にする妻が言うには、クリスマスマルシェに行こうとのこと。

寝ぼけまなこで受け答え、

ジュネーブの旧市街とか、カルージュにもいいところあるんじゃないの?

と言いつつ、「モントルー」という地名を妻が言うなり、

お、フレデー・マーキュリーの住処、デープ・パープルの「水上の火事」、詩人バイロンの退廃生活・・・などを思い出す。特に英人バイロンが面白いおっさんなのだが、これも語ると長くなるので、後日。いや、本当に許せねえよこいつ、という人格だけどなぜか憎めない。この時代にこういう人物多いねぇ。

ともあれ、車でモントルーへ向かい、まだ朝早く市場にはヒトもまばらなので、第二の目的であるRoches de Naye山のある一路登山鉄道へ。

このRochers山に向かった理由は、頂上にサンタの村があり、オトナでもけっこう楽しめるということ、スキー場があるとのこと、そして登山鉄道に乗れるということ。

オジサンたちはどうしてこうも乗り物に弱いんだろう。

モントルーの駅で切符を買い、登山鉄道の道中で食べようと、近くのCOOPでサンドッチを購入。箱根の強羅駅を思わせる駅舎で、50名あまりの酔漢たちと鉢合わせ。うるさいし、くせー。

発車するなり、息子はサンドッチを頬張るが途端に食欲を失くす。

後ろで誰かが強烈なニオイを放出。

吐くなよ。息子。

酔漢たちは二駅後にホテルの前で一斉に降車。このホテルの雰囲気、やはり箱根あたりのなんたらに似ている。

その後、列車は1時間の道中、何度かトンネルを繰り返す。

繰り返すたびに濃厚な雪景色が広がる。



これ、わずか10分で標高1000m超え。線路の真ん中のピニオンの高さが箱根の比じゃござんせん。でも、スイッチバックはなかった。



あこがれのコックピット。極めて単純。最高速度は20km/h.



そば焼酎が飲みたくなる景色。航空マンなら、就職後必ず感動した景色でせうね。




雲海とはよく言ったもので、1000m付近の村が島のように見えます。つまり、1000m以上は晴天。その下は曇天。なんだか、「新しい」豊かな生活を知らされた気分。なぜなら、ここの住民は海抜1000mでありながら、天候に恵まれ、文化的な生活を享受しているんです。

まだまだ、スイスのことは学習中であります。

モントルーの続きは次回。






スイスだけでなく、大陸に通じる国際交通ルールだと聞いてさらに驚いたのが、この右側優先ルール。

 

まず、幹線道路を右側通行で直進しているとしよう。右の側道から出てきた車に道を譲らなければならないというものだ。同時に、幹線道路に出る車は左から直進車が来ても、そのまま右左折してもいい、というルールだ。

危険極まりない、と思った。

 

 
「優先権を行使せよ」

と、言われましても・・・。

 

だが、しばらく運転していて、気づいたのはスイス人とフランス人の持つ独特の法意識と権利意識。権利あるんだから、と言って空気を読まずに権利行使する姿を目にすると、さもありなんと納得しつつある今日この頃。

 

こういうルールがあるから、道を譲らなくてはらない、という考え方にはならないらしい。この法源については在スイス20年の英国人弁護士から聞いたこと。

 

「英国ならこのルールを適用する必要はないだろう。ええと、英国は左側通行だから、右から来る車が優先になるのかな。ラウンドアバウト(ロータリー)でも同じことだから、判り易い。でも、大陸は違うのさ。そんな細かいことまで規定しないとかえって事故が起こると考えられているのさ」

 

つまり、在スイス英国人に言わせれば、右側から出てくる車は直進車に道を譲って貰えなくても、権利として幹線道路に侵入できるのだから、交通マナーのような高尚な意識は欠如していてもいいということらしい。しかも慣れてくると、この方が安全性が高いということらしい。

 

もちろん、この優先道路の対象外となる道路も多い。それでも、側道からの停止線の位置がかなり幹線道路に食い込んで感じる。いや、実際に幹線道路にカットインしているのだ。お陰で、側道者からは幹線道路の左右を確認し易い。幹線道路はその侵入具合にドキリとしながら直進することになる。

 


なんだかよく判らない標識もある。

もう何度か目の前にしたことだが、直進車と側道車とが道を譲り合う場面はいつも興味深い。拙の車に同乗していた英国人は言った。

 

「あれは譲り合っているんじゃなくて、権利を主張しあっているんだよ」

 

その後、その2台は大きな音を立てて、拙の行く手を20分間ほど遮ることになった。ナンバープレートを見るとスイス車とフランス車だった。道を譲られても、譲っても後続車に追突されるリスクは変わらないんだよなあ。

 

 



ラウンド・アバウトもアンチ・クロックワイズ。

なんだか、スピードが乗らないんだよなあ。気のせいか?

そういや、プールでも同じ向きで泳ぐなあ。歩行者は左側なのに。

これが「優先道路」の標識。
こちら側にこれがあれば、こちらの直進が優先。



自分のブログにアクセスさせるために、意味のないコメントを残す輩がいる。あいにくこのブログはそういう輩を排除するシステムを持つ。なんなら、貴君のIPアドレスをここに公表しようか?誰にも相手にされなくなるぜ。


ということで、前回の続き、


どっちがいいとか悪いとかではなく、どうやって事故を避けるべきか、と考えさせられる。とりあえずやっているのは、ポンピング・ブレーキ。減速しない程度にブレーキライトを付け、後続車をドキリとさせる。クラクションを鳴らす奴がいるけど、それはこちらの思う壺だ。ぶつかったら「おめーさんが近過ぎんだよ」と言える。制動させずにブレーキライトを点灯する技術は難しくない。前方車ブレーキに反応できないのは後続車の責任。

 

察するに、東京のドライバーも、スイスのそれもどちらもルールワイズなのだろう。どちらも「それはオレの権利だ」と言わんばかりの態度で空気を読まない。洒落にならないほど主張するだけのつまらない奴らなのかもしれない。

 

で、実際にスイスの奴らは話してみると、なんだか議論ばかりしている。この数週間でケンカした相手は思い返してみれば、皆店員やプールの水浴客など通りすがり程度の連中ばかり。皆、英語を話せと言うとなぜか怒りだす。たぶん、話せないからだろう。拙は絶対に泣き寝入りしないので、相手も苛立つのだろう。でも、拙は基本的にどんな相手でも尊重するから、相手にも同じことを望むのみ。

 

ひとつのくだらない例、

 

国連近くの国際競技で使われる水深2m50cmのプールでの話。ゆっくり泳ぐ婆さんに別のレーンを指差され、フランス語で何度か怒鳴られた。

たぶん、ここはゆっくり泳ぐスペースだから、速く泳ぐなら向こうのレーンに行けと言いたかったのだろう。でも、拙よりも速い人たちが同じスペースで何人も泳いでいる。

なぜ、拙だけが言われなきゃならないのかが判らん。言いたいことがあるなら、英語を使ってくれ、あるいは監視員に伝えてくれたら、彼らは英語で拙に説明してくれるだろうと言うと、文句を言いながらまた泳ぎだして、器用に垂直の平泳ぎで沖に流れ始めた。死ぬなよばーさん。

拙はルールを侵しているつもりはない。たぶん、彼女のお気に召さないのだろう。それは彼女にとってルールの上をいく規範、ザ・マナーに相当するのかもしれない。でも、醜い顔でこちらを睨みつけるのは十分にマナー違反だ。美しい老人はなぜかヒトを睨まないな。ヒトを睨まない老人は美しい。あれ?

 

拙が日課の1kmを終えて、息も絶え絶えプールサイドで整理体操をしていると、相変わらずその婆さんは平泳ぎで拙の方をにらみつけながらまだ何かを言っている。眉間に皺を寄せているので、ジュテームと言ってるような雰囲気ではないが、なかなか器用なバーさんである。扇子を持たせたら江戸芸のひとつでもやれるんではないか。口から噴水を吹き、入れ歯が飛び出すってオチか? 

彼女がターンするところまで寄って、「マダム、一体何が問題なの?あなたは私の言っている英語くらい判るでしょ。私がルールを侵しているのなら謝りますよ。でも、アナタのやっていることはまるで人種差別ではないですか?」そのとき、彼女は驚いたような顔をし、握手を求めて
Reconciliationと言った。やっぱ、英語判ってんじゃん。ずるいなあ、ばあちゃん。

 

こういう態度を日本では卑怯と言うんだけど、スイスではどうなのかね。

 

後々、トラブルになるのは避けたいので、監視員に一部始終を話しておいた。そして、もし私の行為に問題があるなら、遠慮なく教えて下さい、と下出に出ておいた。

その様子をじっと見守る人たちが居てちょっと恥ずかしかったが、この国の法律がよく判らないので、証人を作っておいたまでだ。

 

その拙を見つめる中に、自分のコースを堅守して、混雑しても決して水路を譲らない若い女性がいた。10m幅はあろう、広いプールサイドのコースラインに捕まって休んでいたら、彼女にPardonと言われたのは意外だった。

この場合は「ごめんなさい」ではなくて、「そこをどけ」という意味。「方向を3
0cmだけ変えたら、それでぶつからないんだよ」と英語で言うと、フランス語でまくし立て始めた。こいつも英語判ってんじゃん。これがスイス人のネイチャーなのか?つまり、杓子定規の石頭で、じぶんを正当化することばかり。おまけに英語だったら議論で負けるかもしれないことを見越したフレンチな態度だ。こんなハレンチな奴らとこれからどうやって仲良くなれるんだろう。こんな連中を相手にしてどうしてフランス語を学ぶ動機付けが出来ようか。(おお、反語文)

 

今はこう書いているけど、後々考え方が変わるかもしれない。で、変わった時には今考えていることを忘れちゃうんだよね。恥ずかしながら備忘録。多感な47歳。うf。

 

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