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とりあえずジュネーブをうろうろしてます。
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これは今回だけのタイトルではなく、カテゴリにするのが適当だろうか。とりあえず、今回はこのタイトルで。

 

スイスに住み始めて早7週間、滞在日数が減っていくことは正直なところ好ましい。旅行滞在先に飽きて、もう帰りたいなあ、という類の気持ちは毎日何度か起きる。そういうのがひどくなって欝状態になるとホームシックというのだろう。ホームシックは心理的な病気だが、シックハウスは家がもたらす物理的な病気。どっちもやだねぇ。

 

そんなスイスでも、数年後に別れを告げるとなれば、寂しさも湧き上がるに違いない。とは言え、まだ生活は始まったばかりで、未だに地理感覚で錯綜することもある。常識の差や言葉で過剰な思考を要求されることもある。

 

ジュネーブという多国籍の街ではスイス人に出会わないということは珍しくないのだが、今までを振り返ってみれば、数名のスイス人と接触していたことに気づく。そういえば、スイス人だと名乗っていたのは、医師、店員、働くオジサン、おばさん…。

 

まず、スイス人の特徴として挙げ易いのは自動車の運転である。これは土着の人間たちが作ったルールで皆が同じように動くものだ。国際ルールとは言え、当然ながら、スイスにはスイススタンダードがある。彼らの運転の特徴を挙げると、まず道を譲らない。クラクションを多用する。方向指示器を使わない。後続車はライトが見えないほど接近する。

 

ある意味で京浜地域の運転に似ているが、阪神地域とは異なる。阪神地域は道を譲るが、それでも事故が多い。かなり強引に進入しながら、相手が譲って当然という意識があるのだと思う。兵庫県の事故件数は日本でナンバー1だ。英国ではルールで決められていなくても、道義的に格上の「マナー」が働く。譲らなくてもいいところで譲っては、後ろから追突されている。エレガントなアホだ。ジュネーブではなかなか割り込みをしない。幹線側の車もなかなか譲らない。スペースを開けたら損するとでも思っているのか。後ろから追突されそうもないのに…。そのうちタイミングを計ったつもりで進入した車が見事にぶつかっている。譲ることで生じるベネフィットを考えないのは、権利意識の強さゆえだろうか。

続きは明日。

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ジュネーブは狭い。

寒いと人間の行動範囲は狭まるのだろうか。

思いがけないところで、知人に出くわす。

短期間住んでいる者同士である筈なのに意外なところで出くわす。

今は楽しいけど、そのうちこういうことが当然に思えるのかなあ。


それにしても、スイス生活開始後一月半にして、

拙の知る邦人数はせいぜい20名だろうか。

英人は50名、いやもう少しかな。

右隣人はチェコ出身の夫婦だし、

左隣人はスロヴァキア出身の夫婦だ。

スイス人の縁戚は居ても、スイス人の知り合いは皆無。

どこに居んの、スイス人?

ジュネーブに住む人口のうち60%は外国人だと言われる。

でも、「住む」の定義がイマイチ判らない。

空間を占有するには期間を伴うからだ。

学生も「住む」し、駐在員も「住む」し、スイス人と婚姻したあの人も、このヒトも「住む」

もちろん、スイス人自身も「住む」わけだ。

そして、スイス人自身も混血が進み、スイスとそれ以外の国籍を持つひとたちも増えている。

都合に合わせて、スイス人になったり、ナントカ人になったり・・・。

そういう人たち全体をひっくるめて60%が外国人というらしい。

あまりにも増えすぎた外国人に国を荒されるとでも思ったのだろうか。

先日の選挙でも判ることだが、この国は外国人を排斥する方向に動いている。

国際機関の人間ばかりがうごめくジュネーブ、

彼らに対するスイス人の追及も始まっている。

でも、そういう国際機関あったればのスイスのはずなのにね。

先日、拙も独特の人種差別を経験した。

身分を証明しても、態度を変えない人物。

権利を主張しても認めようとしない人物。

「オレが白人の顔をしていたら、お前、そんなこと言えんのか」

その一言で相手が一瞬たじろぐのを拙は見逃さなかった。

そして、議論から逃げ出すのだ。

だって、権利義務関係が明白であれば、誰にも文句のつけようがない。

そういう場合、彼の論点は分けのわからん方向に向かい、

その場から立ち去ろうとする。

去る者は追わない。

もちろん、くだらないから。

寒くて、狭いとこういう人物にも遭遇するもんだ。



頭を角刈りにして撮影した身分証明が出来たので、スイス銀行に講座を作りに行った。

しかし、あまりにも条件が悪いので、「いいや」と断った。

ゴルゴ13にはどんなメリットがあるのだろう。彼の運用範囲はスイスの他行でも十分な筈だ。たぶん、作者はスイスに住んだことないんで知らないんだろうな。

で、いくつかの銀行にアポを取って、

各行の口座のメリットデメリットを尋ねる。

どこもけっこういろんなチャージを取りやがるのであります。

最終的に決めた銀行では、手続きの最中に

子供たちの名前と生年月日を聞かれたので、

水を一杯飲ませろと要求。

あまりにも意外で開いた口が塞がらねーんだよ。

水飲むときは口が塞がるだろ。

なんで? プライバシーの侵害じゃん。 答えないとどうなんの? これってスイスじゃ普通なの? 子供が居ないヒトには何を聞くの? データ漏洩で我々だけじゃなくて、子供にも被害が及んだらオメーら責任取れるの? 自分の金の運用をあんたに任せるために来たんだよ。何様のつもり?

担当者はただ、

「フォーマットになっているだけなので、私も詳しいことは判りません。でも、この項目を空欄にしておくと次に進めません」

「なんだよ。子供いねぇと口座作れねえのかって聞いてんだろ。さしずめ、ここは子供銀行か」

スイス人にこの手のジョークは通じない。突然英語を話さなくなる。通じないとアホに見えるが、多くの日本人も世界ではそう思われているって知っている?

ともあれ、

上司が出てきて、「こんにちわ」も無く、単なる手続きだと言い張るので、

「じゃあ、機密事項漏洩の際には責任持ちます、と一筆書いてください」

と言うと、「お時間掛かりますけど、宜しいですか」

「後で、送ってくれればいいよ」と手を打つ。

で、結局手続きのみが終了して、口座には英国マネーを入金できなかった。

口座がオーソライズされるまで、まだ数日掛かるとのこと。

それまで、和口座と英口座とをバランスよく使い分けなくてはならない。

もう到着して一月以上経っているのに、まだ生活のインフラが整わない。

銀行口座作るのに、3度も同じ銀行に行かなくてはならず、しかも一回は2時間近く掛かる。目的点に行き着くまで、どうでもいい説明や情報が多いのは日本とよく似ている。だけど、日本の場合は安いか、無料でされるサービスでもある。日本のキャッシュカード事情は後進国だと思っていたけど、こうして外国に住み始めてみると、そうでもないことが判る。スイスの銀行はなんでもありだけど、そのために費用を負担するのは預金者側だ。ある意味正しいと思うものの、金融サービスはこれでも競争が可能なのがスイス。そういえば、だいぶ前にクレディスイスの元行員がマネーロンダリングの嫌疑で逮捕されたっけ。あの事件も競争の行き過ぎゆえに起きたこと。本人も気の毒だった。その後彼はどうなったか。彼の妹もあまり画面ではお目に掛からなくなったと聞くが。



あ、飯ネタにする筈だった。

それはまたずれ。またいずれ。

今からおフランス製の燻製生タラコで飯をほふる。くくっ。

おいしいものを食べると、頭来ていても、なぜか笑っちゃうよなあ。





在スイス退役英国軍人の集いに参加してきました。

スイスに居ても、拙の周囲には英国社会が居しているわけで、

ある意味で「英国と暮らーす」が続いているわけです。

退役軍人たちと言えば、85歳以上のご高齢ばかりと思っていましたが、

英国はその後もIRA、フォークランドなどの紛争を抱えて来ましたので、

比較的若いスイス在住者も参加していました。

90歳のお爺さんはマレー沖海戦で水兵だったそうで、

貴重な生存者ですが、同海戦で日本軍に右足を吹っ飛ばされたとか。

当時は日本人を憎らしいと思ったことは隠しませんでしたが、

杖を突きながら、拙のところに歩み寄って、

「君たちは夫婦は、日英の平和の象徴だな」

と言い添えてくれました。

ブッシュ大統領に聞かせてやりたい言葉ですね。

戦争が終わって、関係が修復されるまでの道のりの長さを感じます。

我々の婚姻した1980年代の終わりでも、「日本人と結婚するなんて信じられん非国民だ」と罵る高齢の英国人はたくさん居ましたからね。


ホロホロ鳥のローストを頂きながら、

SAS(英国特殊部隊)の退役軍人のスピーチを聞きました。

やはりSASに居ただけあって、常人とは異なります。

立ち姿に隙がないと言うか、

自らを律する意志の強さと気高さを感じました。

相当怖い経験や汚れた任務をこなしてきたらしく、

数々の勇姿やエピソードを楽しく語ってくれました。

例えば、英国内の農家に潜むIRA幹部を捕まえるために、

ある隊員は二昼夜に渡って堆肥の中に埋もれて過ごしたとか。

(用便はそのまま済ませたのでしょうか?でも、食事は?)

今年のSASへの入隊希望者は世界中から1万人ほど居たそうですが、

入隊できたのは5名だけだそうです。

エリートという選ばれし人々は糞まみれになってもモノともしない強靭な意志を持っているのでしょう。

日本人でも過去に何名かSASに参加した人々が居ました。

その後一人がフランスの傭兵になったと記憶しています。

奇しくもスイスは元傭兵の国です。

精密、機械などの地場産業が成り立つ以前のスイスは生活苦からオーストリア、イタリア、フランスなどの近隣諸国に傭兵を出していたのです。それゆえ、戦争になると親兄弟が争うということもあったそうです。貧しさから男が兵士になり、女は身を売るという構図はどうしようもなかったんですかね。

さて、今度はどんな集いかな。

今週は野暮用が多くて、あまりアップできないかも。

あ、仕事も溜まってきた。

押してたもれ。

歴史だからと言って、原始時代から語る必要はないんだよね。

歴史というのはA点とB点との関係を語ったストーリであり、文学であるというのが持論なんす。だから、過去と現在の自分との関係というのも歴史に繋がるわけです。

なんせ、史学科というのはどこの大学でも文学部にあるんですから。科学と言う人がいるなら、その法則性をすべて立式化して、どこぞの学会にでも提出してください。

さて、今日は短い記事。ユーロの話です。

1865年にユーロの前身となる動きが既にあったんですね。



ジュネーブ北部のNyonという街にある博物館で見つけたものです。

わずか2年間でありますが、イタリア、ベルギー、スイス、フランス、ギリシアが共通通貨になっていたんです。昔、聞いた事がありましたが、すっかり忘れていました。当時の物価レベルはどうだったんでしょうね。商品も少なかっただろうし。

この頃既に世界連邦構想があり、それがECへと繋がり現在のEUへと結びついたわけです。

国連もその流れでありますが、世界連邦構想は別個に未だに活動しています。

一見、派手でさーやかに見えるこの世界構想、実は意外な落とし穴がたくさんあります。

今日の国連はその巣窟であります。

まさに落とし穴だらけ。

ああ、こんなこと言っちゃまずいか。




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