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とりあえずジュネーブをうろうろしてます。
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この街が好きだ。

ジュネーブから100キロほど離れているのに、この1年に満たない滞在期間に数え切れないほど訪れている。

なにかしら落ち着いている大人の街と言えようか。

旧市街を歩いていると宮崎駿の世界が広がる。

アニメ「アルプスの少女ハイジ」は宮崎氏他2名のプロデューサーの現地視察を踏まえて作られていることはよく知られている。

その成果ゆえ、あのアニメが日本人によって日本で作られたと聞くと、スイス人が驚くというから驚きである。

確かにあのアニメの凄さは画面に彼らの見たスイスがあり、和を感じさせるものは言葉以外の何もないところだろう。だから、放映当時に中3であった拙でも「外国」を意識させる風景をあのアニメの中に鋭敏に感じ取っていたのだろう。

しかも、その時の現地視察の成果が後の宮崎アニメを包括している。

天空の城の発想はこのローザンヌから出たものではないか、という気がしている。

実際のローザンヌは天空に浮いているわけではない。

ただ、心地よい浮遊感覚を覚える不思議な街なのだ。

ひとつの理由はバイアダクト(高架橋)が多いこと。

谷を渡らずに橋で尾根と尾根とが結ばれている。

高架橋と言っても、日本の味気ない風景を思い出すべきではない。

橋の下には混沌とした商業空間が広がる。

近代ローザンヌの歴史からは、この橋梁を長く、広く、複数架けることに心血を注いで来たスイス人の魂を感じる。

もうひとつの理由は、高さ50m以上はあろうかと思われる要壁が林立することだ。

スイスのエクメーネの狭さは日本とは比べ物にならないほど狭い。

しかし、人が住むための土木工事をしているから、スイスには住み易い場所がたくさんあるんだろうな、と思わされる。

このローザンヌに訪れることがなくても、有名である理由はたくさんあると思う。

そして、来て観て、その理由の背景を知ることが出来たので、もうちょっと言及していきたい。


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スイス人の不躾さには頭も来るし、閉口させられることも多いが、そういう奴らを相手にしているからこそ、「ここぞ」というときは損をしたくないと頑張る気持ちになる。

 

歯の治療ミスがあったので、数週間掛けて訴え続けた。もちろん、ミスとは言わない。ミスであることを主張すれば、かえって意地になって認めないばかりか、完全に否定されるだけだ。たぶん、この国のメンタリティとはそういうものだろうし、ヤクザやギャングが居ない分、一般人には「黙っていてなんぼ」のような考え方が浸透していると分析している。そういう考え方の背景になるものが、独特の主張を勝ち取ってきたスイス史の中に垣間見る。

 

ともあれ、どうにかしてその歯科医師にミスを認めさせようと案じた。衛生士に頼んで、調子の悪いところを診てもらい、X線撮影したら、問題が特定された。証人は衛生士であり、歯科医師は第三者の意見でミスを認めざるを得なくなった。

 

それでも、歯科医師はミスとは言わない。先のクラウンの形が不適切だったから、隣の歯の詰め物を取り替えて成形するということになった。

 

「コスト負担は私じゃないよね」

 

と念を押す。

 

「この治療には通常1000フランク(約10万円)掛かりますが、これはアナタのコストではありません」

 

「つまり、それはアナタ(歯科医師)のミスだからでしょ」

 

とは言わない。

 

ここは穏便に治療を待つのみ、と言葉を飲み込んだ。拙は無料の治療さえ確信できれば、それでいい。かくして、現在は健康な歯が夏の日差しの中で輝く。

 

もうひとつ、交渉勝ちの件。

 

盗まれたリュックサックの代わりを購入したが、5千円相当もしたのに、縫製が悪くて使い始めてすぐにあちこちがバラけ出した。返品しようとしたが、オリジナルのレシートを保険会社に送ってしまった。リカバリーにこれだけ掛かりました、というレポートに添付したのである。店員はオリジナルのレシートがないと返品不可と自信を持って言い切るので、一旦諦めた。

 

しかし、後日同じリュックサックが売られているのを見つけて、ムラムラと闘志が湧いてきた。レシートのコピーをコピーして、店員にマネージャと話させろと要求。マネージャはいろいろ考えた挙句、いきなり「OK,返金しましょう。不良品だもんね」

 

交渉してみるものだ。本日、損しなかったのは〆て1,050フランク。ま、10万円相当なんで、悪くないでしょ。

 

交渉にも国民性をみてやらんとね。一番難しい交渉相手は大阪のオバちゃんかな。

 

 

 


ジュネーブ人はよく挨拶をする。

病院の待合所に行くと、新参者がまずボンジュール。

先に待っている人々も口々にボンジュール。

自分の順番が来れば、ボンジョルネ、オヴォワー(ごきげんよう、さようなら)。

エレベータでも同じだし、朝の通勤の通りすがりでも同じ。

面倒臭いような気になってしまうのは、今まで暮らした国々ではそうした習慣がなかったからだろう。

だが、この挨拶、かえってよそよそしい気がしないでもない。

知らない人だからこそ、こちらは怪しいものではないですよ、危害を与える人間ではありませんよ、と伝える必要があるのではないだろうか。

長年、ジュネーブに住んでいる人たちに聞いてみたところ、それがフランス語の特性であり、個人を主張するシステムの表れだという回答を得た。

然すれば、それは最低の礼儀ということだろうか。

確かにどんなに小さい子供でもちゃんと挨拶をする。

「ボンジュール、ムッシュー」 と言われると妙に微笑んでしまう。

幼子が年上に敬意を払うなんざ、日本よりもいい気分になってしまう。

しかし、である。

順番待ちをしていて、さあ拙の番と店員にボンジュールと声を掛けようとしたら、

突然傍らの若者が注文を出し、店員は拙には気付かなかった。

若者に目を合わせ、「何か急いでいるのか」と英語で聞いてやると、

若者はこちらの顔を見てへらへらと笑っている。

「お前より先に来ていたのに、ずるいぞお前」

さらに、日本語で「くだらねえ野郎だ」と言うと、

「もう注文しちゃったもんね。どうしようもないじゃん」

という言葉と態度であった。

こういうのは悔しい。

決して人を舐めない拙であるだけに、舐められるのは許せない。

でも、コトがあまりにも小さすぎて怒る気にもなれない。

実は、こういう悔しいことはジュネーブに来てからしょっちゅう体験している。

この連中の礼節の度合いがよく判らないのだ。

言葉や挨拶はたくみに使うが、態度がそれに伴わない。

結局、言葉は行動の鑑ではなくて、行動の言い訳、補填というところか。

こういう輩も多いジュネーブ。

さて、本物のジュネーブ人とはどういうものだろうか。

まだまだ判らないことだらけだ。


本日は画像の日にしましょう。

ま、多くは語りますまい。















階段を昇るための小さいタイヤが見えるでしょうか。





ね、急勾配でしょ。



街に調和した急流。かなり蛇行しているので、治水はさぞかし大変だったことでしょう。





大聖堂の門前。左は天国。右は地獄。信者は右から入って、礼拝を受けたあと左から出てくるのでした。




これが亡者。




これらが神に仕える人々。

勧善懲悪なんて、単純でいいなあ。





どの泉水も飲料水。




ユダヤ人が子供を食べるという噂から作られた子食い鬼の像。後年は秋田のナマハゲのように「悪い子はいねか~」のような役割に。

こんなわけで、ベルンはまだ見所がたくさんであります。




スイスの首都ベルンに行ってきた。

朋友TLJG氏がかつて住んでいた街でもあり、妻とともにどこに住んでいたんだろうねなどと話しながら、市中を散歩。

中世来、侵略されていない街並みは、思っていた以上に安定して見える。こういうところに建築家や都市土木の友人と一緒に来て、意見を聞きたいものだ。

素人なりにこの街を眺めると、治水にはずいぶん苦労を重ねただろうと推測される。

ある仕事で行ったため、街の散歩するので精一杯で、地元歴史博物館などには行ってないから思ったことだけを述べる。また、行くだろうから、その時に今回疑問に思ったことが課題となる。自ら課すのは楽しい。人に課されるのは苦手だ。

中世の町の中心は、城と大聖堂、そして周囲を囲む城壁である。

城は他のカントンと同様に市庁舎として現存、大聖堂はそのまま。

大聖堂のてっぺんまで334の階段を昇る。

行き交う人々は皆英語人。地元民は来ない。

街を見下ろす。

すっごい勾配に街並みが続き、50m以上はあろうかと思われる垂直の要壁が街を囲む。

ローザンヌは空中都市の感があるが、

ベルンにもそう思わせる部分がある。

あの要壁をどうやって拵えたのか、これが今回の最大の疑問。

次回は歴史博物館に脚を運ぶつもりだが、いつのことやら。

他に気付いた事と言えば、

人々の言葉だけでなく、顔立ちもゲルマンなこと。

ショートカットで巻き毛の若い少年かな、とよく見ると女性だったりする。

女性にしてはいかついが、男性としたら手弱女という顔立ち。

で、ドイツ人よりも小柄だ。


食事はジュネーブよりも少しいいかもしれないが、

2度だけの食事では判断不可。

ミグロのテイクアウトはどこでも同じ。

ケバブはトルコ系と思しき作り方。でも、味は不明



パウル・クレイの美術館にも行った。

がっかりしたのは、大したコレクションがなかったこと。

波型の美術館は関空を思い出させると思っていたら、

設計したのは同じピアノさん。

そういえば、関空の現場で働いていた建築設計者たちは皆ピアノ氏のデザインに苦労させられていた。

「構造上、無理なんだよ」

と怒っているゼネコンの社員も多かった。

ベルンでも同じだったのだろうか。

最後に、

「地久の歩き過多」を頼りに店を徘徊。

いくつかの店が見つからない。

閉店時間が過ぎてから目当ての店を見つける。

「住所間違ってんじゃん」

情報も不足しているし、裏を取りきれていないこともいくつか。

かの編集長、このブログもご存知の筈だが。

次回は街並みの画像でも。


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