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とりあえずジュネーブをうろうろしてます。
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2ヶ月前に取った病院のアポが手帳に書いてある。

ああ、また行くのか、とやや陰鬱な気分。病院に行けば、かなり時間も取られるし、診断結果によっては気分にも影響する。拙の仕事は健康なときに気合を入れないと、なかなか良いものが出来上がらないので、気分はいつでも平常でありたいと心がけている。

で、病院に行くと受付の女性たちが拙の来院を歓迎してくれた。

しかし、

「アナタの名前は?」

「なんで?知っているんだろ?」

「アナタが来たことは皆覚えているけど、名前が判らなくて困っていたのよ」

「え??!?」 意味不明

「とにかくスペルして頂戴」

「えと、b(ベー)、o(オウ)、k(ケ)・・・・」

「あー、やっぱりスペル間
違ってたのよ。これだから外国人の名前は苦労するわ」

「漢字で書いたら誰も困らないよ」

西洋人に表意文字文化と表音文字文化との違いを語っても、どうせ判りっこない。 この表意と表音との差は、英語と日本語を話す拙にとってストレスの範囲だ。

「そんなもん、判れよ」

と言ったところで、表音文字文化しか知らん奴らに表意文字文化の凄さなんか判らんだろうな。

表意文字は目を使うが、思考言語としては優れていると思う。認識が早い。法則があるので、関連性がわかり易い。

一方、表音文字は思考を先導する記号としてはイマイチに感じる。ラテン語を学ばない限り、語源はおろかその言葉の深みや哲学には触れられないし、哲学的思考が賢者と呼ばれる賢者でもない一部の特殊能力の人たちのモノになってしまう・・ような気がする。

いろんな国の言葉が出来たって、こういう言語認識や言語学的な意見を持たないと、それは習い事の範疇を出ない。日本人もそうだが、スイス人も習い事は得意だ。言われたことをきちりとこなす。出来なければ、バカだ、アホだと・・・上位が下位を作って見下す。って、そういうもんじゃねえだろもん。

拙はヒトにモノを教わるのが嫌いだ。留学もしたことないし、英会話学校なんて行ったことない。だから、拙の英語はもちろん、拙の日本語も拙意外には出来ない。

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在ジュネーブのスペイン総領事館が、本国からわざわざ外務大臣を参加させて、新事務所への記念式典を行った。

招かれたので、しょうがないなあ、と行ってみると、ラテン系の言葉でもスペイン語ってフランス語とは語感がかなり違う。どちらかと言えば、好きな言語。イタリア語のようにしつこくないし、フランス語のようにいやらしく粘っていないからかな。 女子もナンパされる体勢になっているのが好ましい。(そうか?)

式典には300名以上の人々が集まっていたが、なんだか拙の頭が人ごみから出る。スペイン人は背が低いのか? 日本に居るような快適な気分。

印象的だったのは女性の笑顔。歯を出して笑うのだが、なんだか歯が大きい。顎が頑丈そう。これまでに知り合ったスペイン人たちにも同じ印象を持つ。そして、結構目鼻立ちがくっきりしている。スペインの歴史は混血の歴史だから、アラブ系も混じって一種独特なのかな。

外務大臣、ミゲル・アンヘル・モラティノス・クジャウべを紹介されると、彼はいきなり妻にチューと。なんだか意外だった。拙は握手のみで、よかった。




デジカメを持っていた拙、突如、ある女性から写真を撮れという依頼をされた(と思う)

彼女は真ん中に自分を置いて、大臣を左手に反対側に自分の旦那を置いた。 なんだか強引だなあ。 漫画「ダメおやじ」の奥さんを思い出させるし。 明日、画像を送れと言っている気がしたので、先ほどCDバーニング。スペイン人はフランス人よりも相性が良いけど、言葉が通じないとねぇ。

その後、彼女と会話する段になると、ある女性がいつもくっ付いて来て通訳してくれていた。よく見ると、ドレッシーだし、年齢の割りにスタイル抜群。 「何者?」と質問すると、外務大臣の奥方だった。思わず、「すいません、通訳なんかさせてしまって。ところで、日本語は?」と冗談を言うと、「ええ、少しだけ」

その発音からして、「少し」ではないことが判った。 彼女、数年前までマドリード大学の日本語専攻科にも通っていたそうな。そういえば、そこで働く友人がいたね。あーただよ、あーた。

ジュネーブに来て以来、式典ではフランス語、ドイツ語などが主流で、スピーチの間中眠気を散らすのに苦慮する。スペイン語でも眠くなるのだろうな、と思っていたが、やはり眠くなった。でも、考えてみれば、つまらんスピーチを聞かされれば、日本語でも眠くなるもんな。因みにスペイン外務大臣のスピーチは笑いの渦で、当方立場なし。

もう寝る。ふて寝。



本人たちが言って憚らないのだから、ここで述べても構わないのだろう。と言うか、ブログに書いてもいい?と本人たちに聞くと、「素晴らしい話だから構わないよ」とのこと。

言って憚らないことの一つ目は、彼らがゲイであること。因みに拙はゲイではないが、昔からゲイの友人が多い。魅力的な人間であれば、たとえゲイであろうとヘテロであろうと構わない。

最近はすっかりそのナリがあからさまになった。

かつては、「僕は社会に対して、とても我がままな生活をしているから、そのこと以外はちゃんとしなくちゃならない」という態度を取る友人たちが多かった。

ゲイの友人たちは好人物が多い。考え方もしっかりしている。

ただ、20年ほど前に遡れば、彼らには悲哀があり、ある種の同調を覚えた。

「愛しちゃったのが同性なんだからしょうがないじゃん」

という具合だった。

では、愛が最初であるとすると、その対象は異性にもなり得るのかな、とごく親しいゲイ友に質問したことがあるけど、明確な返答は貰えなかった。

愛が最初で、その対象が男女両性であるとすれば、それは究極の恋愛感情に他ならないではないか?

考えてみれば、拙親友たちにはイケ面もいるが、まったくそうではない者もいる。拙はこの上なく彼らを愛しく思う。やはりそれは究極の恋愛感情だろうか。気持ち悪かったら表現を変えるので、遠慮なく言って欲しい。ブログ友でも同じことが起こりうる。だから、年齢差、性差を超えた友人たちがたくさん出来た。仲良くしてくれて有難う、みんな。



で、言って憚らないもうひとつとは、ゲイ友の子供の話。

彼は子供が欲しいという友人のレズビアンのために代理をしたのだ。

彼はレズビアンの友人に「アナタの子供だから欲しいの。私でも、彼女でもどちらでもいいから、タネを分けて頂戴」 彼はパートナーに相談すると、「ヒトの誕生に関われるなんて、僕らゲイにとって素晴らしいことじゃないか。4人で大事に育てようよ」

2組のゲイの間に子供が作られることになった。

子供は彼らに望まれて生まれて来た子供だ。

もちろん、2組のゲイカップルの親兄弟もその誕生を讃えたそうだ。

だけど、純愛の冷め易さ、怖さ、都合などによって状況が変化し易くなったことも確かな事実。社会保障がある程度機能する限り、こうした傾向はどんどん進行して、新たな形態をつくりだすのだろう。それは自分が心に傷をつけない、相手に心を傷をつけない工夫であり、新たな方法なのかもしれない。

ゲイ友主催のパーテーで考えたこと。


今回は英国の劇場と映画の話。ここでもある程度の英国番組が観られる。

Youtube系ビデオを利用すれば、日本でも視聴可能の筈なので、以下に関連URLを。でも、内容は英語よ。

http://imdb.com/title/tt0464049/

http://en.wikipedia.org/wiki/The_History_Boys


ドラマの内容は、男子グラマースクールで、オクスブリッジ(オクスフォード大学とケンブリッジ大学)進学クラスに振り分けられた18歳の子供たちと教師とのやり取りがメインになっている。

まず、グラマースクールとは、有試験で入学する公立の中高一貫校のことで、これは英国では普通の制度。この試験に受からない者、受ける意思のない者、学力優秀でも近所にグラマースクールがない場合、庶民はコンプリヘンシブ・スクールという公立無試験校に入る。

拙宅も庶民だが、子供たちが特別奨学生なので、私学(なのにパブリック・スクールと言う)に通っている。正直な話、英国のパブリックスクールの奨学生になるのは、日本の学校ほど難しくないと思う。

ともあれ、表題のヒストリーボーイとは、オクスブリッジ受験の専門科目の歴史で、教員たちと生徒が古代ギリシアのロゴス哲学よろしく議論をくみ交わしては、彼らの成すべき方向性を見つけていくものだ。

日本の18歳の受験生は、この状況がまず理解できないであろう。試験はすべてエッセイ(論文)なのだから、基礎学力と言う知識と記憶だけに頼るものとは大いに異なる。

エッセイのような文章を書く素養はインテリジェンスであり、視点であり、想像力であり、それらの素材となるものが知識や情報である。多くの日本人が知識とインテリジェンスとの区別をしていないことがこのドラマを観れば、実感できるのではないだろうか。

実は、このドラマのテーマはそんなところには置かれていない。名誉欲、学歴、本当の学問の面白さと受験用の勉強との乖離、教師が生徒に託す夢、勉学の自由と常識などなど盛沢山なのだが、英国の教育事情を知らずして、このドラマを観る価値があるかどうかは拙には判らない。

たぶん、日本では公開されないであろう名ドラマになる。

別に国際人ぶっているわけではないが、受験を来年に控えた年頃の娘を持つ身としては、子供たちと一緒にこのドラマを観て、いろいろなコンセンサスを共有することが出来た。たぶん、YOutubeなどでしばらくの間は観られると思う。ただし、シェフィールド訛り。

妻が言うには、拙が英国の教育を受けていたなら、オクスブリッジに入って今頃学者になっていただろうとのこと。そんなにマニアックかな。 確かに、ロンドンでは店の看板やマンホールのデザインが気になって、100m歩くのに3時間以上掛かることがある。 寒過ぎるジュネーブではまだ試していない。

坊主というのは足が速いのだろうか。この気ぜわしさは坊主も走る季節だからだろうか。今年もややあって残り少なし。一応、依頼された原稿は上げたものの、日英、基、日瑞西間の暦が異なるので、休んだ気にならないこともある。

こどもたちと6週間ぶりに再会。

空港で見るなり、息子の髪型は爆発していた。

帰宅して、バリカンで刈ろうとするも、長すぎて刈れない。

はさみは大したものを持っていないので、どうもうまくやれる自信がない。

息子は父の自前の髪型を見て、これなら頼めると思ったそうだが、最短でも5cm以上の長さの剛毛に電気バリカンは空を切った。

「全然切れないよ。まず、はさみで短くしないとダメだけど、お前の毛を刈ったら、はさみが切れなくなる。お前の天パーだと直毛とは違って、長すぎるとバリカンでは刈れないよ」

拙もがっかり。タダで散髪できると思っていた息子もがっかり。明日は息子を散髪に行かせるしかない。「フランス語満点取ったんだから、髪の切り方くらい注文できるだろ」いえ、中2程度のフランス語じゃ無理です。



ジュネーブに到着してから1度だけ床屋に行ったが、どうも好きになれない。以来、2週間に1度、自分で散髪を始めた。

理由は散髪代が英国の3倍。言葉が完璧には通じない。気に入った髪形にしてくれるまで通常2年以上掛かる。スイスの床屋は短く切り過ぎるし、スタイルも極端。

到着早々、床屋に行くとゴルゴ13のような真四角の髪型にされた。

そう、香港やくざ的角刈りなのでそう難しくない。

ならば、と電気屋に行って、バリカンを購入。

自分で髪を切ることにした。

やってみると、意外に難しくない。

慣れてみると、次回は、ああやろうとか、こうやろうとか。

設備投資も少ないし、メンテも簡単だし、なんと言っても他人に頭を触られる苦痛の時間を避けられる。これが英国人や日本人の理容師なら会話の妙もあるのだが、ジュネーブ人ではそうもいかない。英語では話が弾まないし、互いに気遣うし。

こうして、自分で刈っているうちに気づいたのが脳天の薄さ。

カッタの長さは3mmから25mmまで10種類を使うのだが、てっぺん辺りで短めのカッターを使ってしまった。「あっ」とは思ったものの、まあバランスを上手く取れば、と全体を短めにしてみた。

すると、脳天を短くしただけにしてはどうもその辺ばかりが白っぽい。ちょっと気になるものの、鏡を見なければ忘れる。

しかし、髪の毛を見た妻が言う。

「あれ、とうとう来たかな」

年齢の割には若く見られるので、これで良いのである。 たぶん。

でも、「ええ?そんな!助けて~」

頭髪の悩みの始まりか。

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