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とりあえずジュネーブをうろうろしてます。
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昨日の続きの予定を、ちっと変更。



2004年の暮れから始めたブログ生活、

今はなきスペース「英国と暮らーす」から始まり、

まだスペースを残す「英国と暮らーす」改訂版、引越し版、

そして、この「勝手ながら・・・」で既に4つ目のブログ。

クリスマスをどのように語ってきたか、というと、

日本人には知られざるその裏側、

必ずしも喜ぶ人々ばかりではないこと、

食事で胃がもたれること、

自殺者がこの季節に急増する背景、

本来のキリスト教とは関係ないこと、

などなど一見して否定的な側面を強調してきたかもしれない。

でも、否定的に思うヒトはなぜそれが否定的であるのかと考えて貰いたかった。頭ごなしに否定的であることが悪いと言い切るのは、その当人の思考欠如の方が問題であると思われる。むしろ、拙のようにクリスマスに孤独を感じていた人々には客観的な判断材料を提供できたようだ。

なぜなら、「ああ、そういういうふうに感じていたのは私だけではなかったんだ」という意見がいくつも寄せられたからである。子供の時から「どんなときでも明るく、元気で」と教育され、思考力の欠落した良い子ちゃんたちにはわかりにくいことなのかもしれない。日本に良い子ちゃんはとても多い。スイスにも多いような気がする。英国は天才とバカばっかりだ。天才はバカを無知とさげすみ、バカは天才を非常識と罵る。 あ、また話が脱線した。



本日は大勢(たいせい)の家族がひとところに集まって、クリスマスディナーを愉しむ。

拙宅でも今年はそうすることになる。たまたま、スイスで出来た縁戚と親類とが集まる機会があるからだ。

ただ、ここ数年、このクリスマスのあり方に疑問を抱いていたので、

実際に行動を起こしていた。

そのひとつは、クリスマスやボクシングデイにチャリティ参加することである。

しかし、随伴する子供たちの年齢が18歳以上でないと参加が認められないとか、

その団体に正式会員として参加していなければ、スポットの活動参加は不可ということだった。

でも、拙ら夫婦のこの話に乗って、今年から何名かの友人、知人、近親者たちがチャリティ参加を始めた。

例えば、妻の叔母がその息子が一緒に参加したのは、

クリスマス・イヴからボクシングデイまでの3夜、彼ら親子はロンドンのホームレスたちにクリスマスディナーを提供する活動だそうだ。

富や幸福は分け与えられるべきものである、という教えを守るつもりはない。だって、そんなの変だろ。ただ、せっかくキリスト教文化圏にいるのだから、その中で自分の納得できることをしたいと思うまでだ。

拙はクリスチャンではないが、小4から3年間ほどキリスト教会に通ったことがある。

聖書の話が面白かったこと、ドイツ人宣教師の子供たちと仲良しであったためだ。

さて、「本来のクリスマスディのあり方とは・・・」

と考えるきっかけを作ってくれたあの家族、

今頃どこでどうしているのだろうか。

ドイツのある都市からxxxx年ごろ日本に来たことと家族全員の名前は覚えている。

今住んでいるスイスからもそう遠くはない。

親切だったあの家族に会いたいなあ。

まず、在日ドイツ大使館に連絡してみっかな。


因みに、クリスマスデイズは本日から12日目の1月6日まで。

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目覚ましは7時に鳴るが、外は真っ暗。

今日は急ぎの用も無いのでと、ライトを点けてベッドサイドテーブルにあった本を読みながらウダウダしていると、8時の時報が我がケータイから。

外を見るとまだ暗い。

暗いよ、スイス。根暗なんじゃない?

でも、街に出てみるとキラビヤかなイルミネーションとクリスマスデコ。

そうか、こういうのがポジティブとヒトは思うのね。

己の心の闇を見つめずに、

電気たくさん使ったイルミネーションが現実逃避させてくれる。

これじゃ現代人は逃避しっ放しだ。

逃避しきれなくなったらどうするべ?

行き着くところは自殺なんだろうな。

昔は交通事故死者数と同数だったが、97年からその3倍。

何が契機になったか。拙には聞かないで下さい。白書を見れば、いくらでも、たらこでも答えは出ます。自分で考えてください。

西洋人は冬至をクリスマスで乗り切る。

日本人は歳暮や大晦日の賑わいで乗り切る。

はて、一体何を乗り切ったのだろう。それも自分で考えてね。

それにしても、なんて不親切なブログだろう。

21日は真っ暗な冬至で、曇天だったので、モントルーに行って登山鉄道でRoche山に登って来た。

どんよりと曇った下界ではあったが、

いくつかのトンネルを経ると、本当に雪景色で、しかも晴天。なんでわざわざこんなところに住みたいのかと不思議に思ったが、充実した設備の中に家が連なればそれも納得。各戸のためにそういうインフラが整っている。

住民は雪国に好んで住み着き、スキーを生活の糧にしている。

画像、若者とのインタビューなどは明日か、次回。

やはりスイスの若者はけっこう英語が使える。使えない連中はたぶんフランスからの通勤者。



もうすぐ子供たちが来る。

彼らが求めるのは拙の食事。

学校の食事は悪くないそうだが、

それでも、拙の料理には敵うまい。

彼らの初日は牛皿にしよう。

後は、マーボーナス、特製カレー、ジャンバラヤ、刺身丼、チャーシュー丼、フライ寄せ、焼き魚とムニエル、和製ロースト、各種の和え物、サラダ、ナムル、煮物、を添えて日ごろの舌の欲求を満足させてあげよう。

子供たちが来るから、ということだけではなく食材への好奇心は海外生活の励みになる。

「これはなんだろう。でも、食べたら美味い」

「これこそ探していたもの」

そういうものに出会えることが嬉しい。

でも、有料記事にはなかなか採用されないんだよね。

今回紹介するのは、これ。



イタリア語だとエスパドン・フュメというのかな。

場末のスーパーで見つけたので、今後は卸や高級食材店でも探してみます。

この「カジキマグロの燻製」は、たとえメスの肉であっても燻製の王様です。

ウチの子供たちは味が判るので、是非食べさせたい代物。

日本の皆さんにはゴメンね。

英国では、高級卸の他、ハロッズとセルフリッジにたま~に置かれています。

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雨のジュネーブ旧市街、寒い。

体感温度はさほどでもないのだが、濡れた靴とズボンは体温をどんどん奪う。この場合は防寒よりもウォータープルーフだったな。それでも、2時ごろから6時ごろまでエスカラードの最終日の雰囲気を愉しむ。

城壁周辺を何度も回る。通り過ぎるたびにいろいろな新しいものを発見する。8月に来たときに入ったスペゲティ屋、とても不味い。入ってはならない店。その先にあった市庁舎事務所は15世紀のものらしい。

雨風と寒さを凌げるので、こちらに進入。祭の時だけに市役所の職員たちが民族衣装で所内のツアー案内を買って出る。フランス語だったけど、聞き取れる単語をなんとか聞きとめ、録画、録音をして、さっそく街並み散策。ロンドンで拙は散歩のプロ。はい、散歩で飯食っています。今回は初のフランス語の散歩、絶対出来っこないと思っていたけど、けっこう面白かった。



歴史に造詣の深い市職員、英語の質問でも丁寧に応えてくれた。



こちらでもっとも印象的だったのは1864年の国際赤十字の成り立ち。アラバマハウスと言われる市庁舎の一階、黄色の間に飾られているこの絵画には、創設者アンリ・デュナンなどが含まれている。



上の写真の人物のレイアウト。1番がデュナン。13番が英国代表のロングムーア外相。あまり有名なヒトがなかったのは意外。



これがアラバマハウス。USAのアラバマ州とは無関係のようだが、今後の調査対象。ここはジュネーブという地域の行政組織なのに、なぜか国際会議の舞台になっている。アメリカの南北戦争の事後処理もここで行われたことになっている。永世中立国の役割って大きいなあ、と実感。なにしろ、日本の文明開化や戦中戦後処理にもスイスはとても貢献しているからね。



これは議会内の壁絵。かつて、この議会は裁判所だったこともあったとのことで、刑罰を受けた人々が並んでいる。よく見えないヒトのために以下のように拡大画像。



ね、両手が切られているでしょ。でも、罪状は判らず。来年のこの時期までには判るかな?





ジュネーブと言えば、エスカラードという言葉なしで語れない・・・らしい。

エスカラードと言えば、キャデラックにもそういう車種がある。キャデラックと言えば、元フランス貴族。なんで敵方となったジュネーブの祭の名前を自社ブランドに?はて?誰か調べて。

日本では坊主も走る師走であるが、フランス人ははしごを駆け上る。エスカラードの元の意味は「はしごをよじのぼる」ことだそうな。よじ登って来たのは、スイス人ではなくて、ジュネーブを包囲したフランスのサヴォワ公国の兵隊だった。ジュネーブは四面楚歌の状態から奇跡的に勝利。今日のジュネーブがあるのもこの勝利のお陰だそうな。そして、今では戦勝記念、独立記念としての元来の性格よりも、めでたさの強調されたクリスマス前の盛大な祭だ。


「火に掛けた鍋」をモチーフにした鍋、マーッミット。これを壊して、親類縁者で分け合う。

毎年、時期がずれるのは、1602年に起源することだけに太陰暦で祭日が決められているからだろうか、とスイスに長期在留する人々に尋ねてみたが、よく判らないと言われた。中国の旧正月、西洋のイースターよろしう太陰暦に固辞する祭は多いやね。ま、来年までには調べておこう。いや、本当にわからないことだらけだ。

ジュネーブに勝利をもたらしたのは、主婦と鍋と野菜だったことから、昨今ではその鍋を模したチョコレートが祭の主人公になっている。主婦は煮えたぎったスープの怖さを知っている。その怖さを利用して、ジュネーブの城壁にはしごを掛けてよじ登るサヴォワ兵に野菜と煮汁を振り掛けた。

サヴォワ兵たちは大やけどし、梯子から転落し怪我人続出。煮えた野菜を見て何が起きたのか判らなくなり、戦意喪失する。「かあちゃんに叱られた」ことでも思い出していたのだろうか。その間にジュネーブ兵が反撃に出た。そして独立を勝取る。ドラマチックで面白いが、女性が亡国の危機を救ったことにも重要な意味があると思う。

当時の考え方であれば、女性でも国を救えたんだからと、「か弱き男性たち」を励ましたことだろう。もうひとつは戦いが創意工夫でなんとかなること、固定観念に囚われないこと。武器とは武具だけにあらず。煮えた野菜汁ほど怖いものはない。まんじゅう怖いならぬ、野菜怖い。

戦争というのは、古今東西国民戦線側の勝率が高い。日露戦争で日本は勝った。でも、太平洋戦争では帝国主義を振りかざし、地元ゲリラにやられた。国を失い、命を失うことを思えば、今の腑抜けた日本人でも頑張るだろう。「ボクちゃん、PCゲームがあればいい」なんて言っている奴は誰だ?

祭は12日まで続くので、週末のレポートに出来るかどうか。

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