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ベッドから開放されると、さっそくメディカルボトル(尿瓶)に用足し。ボトルで毎回、看護士のチェックを受ける。大変な仕事だが、こちらも必死。焼けるような痛みを伴うので、緩慢な用足し行程。苦痛で顔もゆがむし、身体はドジョウのようにくねる。
溜まったモノを見ると真っ赤で怖い。とにかく水を飲めと言われたので、術後4時間以内に4リットルは飲んだ。回数を重ねるごとに赤ワイン色からロゼに変化。白ワイン色になるまで待つこともなく、退院が決まる。
色が変わるのを待つ間、医師が石を持って現れる。執刀医だ。と言っても、メスは使っていない。先日も述べたが、開腹手術ではないので、operationではなく、interventionという言葉を使っていた。試験管に入った石は最大直径11mmの見事な石だった。こんなのが詰まっていたらそりゃ痛いだろうな。「2つとも取ったのか」と聞くと、「Non.ひとつはマシンで破壊した」とのこと。それは正しい答だ。尿管の石はマイクロスコープで取り除かれ、今目の前にある。腎臓内の石はショックウェーブで破砕され、まだ体内にあるものの大量に水を飲めば、2,3日内で排出されるだろうとのこと。
取り出された石は検体にされ、成分を調べる。それで結石の原因が判る。拙の身体がどんな飲食物でクリスタルを作ってしまうのか。一般的に言われているものとは異なる食べ物で作ってしまうこともあるとか。検査の結果が楽しみでもある一方、今生の別れを告げる食材があるのかもしれぬ。
このときに判ったことだが、拙が麻酔で眠らされている間に、施術2回と施術結果確認のX線撮影が行われていた。彼らにしてみれば、慣れた作業なのかもしれないが、完璧なオーガナイズだ。
X線の結果と退院の確定を医師が伝えてくれた19時ごろ、夕飯を食べていくかと、看護婦にと聞かれた。食べても、食べなくても治療費は変わらないのだろうな、と思ったが、自宅に戻って好きなものを食べたいと思った。
思えば、盲腸で築地の大病院に入院したときも、歩けるようになると朝食と昼食は築地場外の友人の店を頼った。病院食を食べたように見せかけて、さっさと着替えて築地に走った。特に「きつねや」のホルモン煮込み、焼き豆腐、お新香、白飯は最高だった。ホルモンは石を作りそうだが、食べる頻度は週に一度だから、そんなに影響はないと思うのだがどうなんだろうか。
病室からの景色はジュラ山脈が美しかった。同室は6名のお爺さんで、皆仏語で「ジャポネ、ジャポネ」と口にしていたが、直接話しかけてくることはなかった。なんだか無礼だ。でも、どうせ仏になるのもすぐの連中なんだろうから許す。
部屋の隣が茶話室で、拙はほとんどの時間をそこで過ごした。そこであれば、爺さんたちの治療の様子を見なくても良いし、うめき声を聞かないで済む。後学のために見ておいても良かったかもしれないが、見たいものではない。
その茶話室でA5ノートにメモを書き綴りながら退院の許可を待つ間、ずっと待っている男性がいた。年のころは60歳頃、スリムで引き締まった身体をしていることが判る。たまに来る医師と看護士との会話はフランス語なのでよく判らなかったが、どうやら拙と同じ症状で、同じ状況、つまりベッドが空くのを待っている様子だった。やはり、この治療体験はスイスではスタンダードだったのかもしれない。人間の身体に石の詰まる話、この行き詰る経験は、今後もこの病棟で続いていくのだろう。