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昆布、カツヲ節、炒り子、干ししいたけ、煮干…、

 

和食の旨みにはバリエーションがある。組み合わせれば、もっと凄いことになる。日本にいる頃の拙はいくつかの出汁を作っては、瓶に数日寝かせて、それぞれを微妙に組み合わせるなどという暇なことをしていた。

 

そんな味付けの料理を食べるのは当時10歳前後だった拙の子供たちと妻が主役だった。来客はその味を口にして、単なる煮物の筈が「この味付けは何?」と驚かれる事もあった。お気に召さないヒトはたぶん居なかったと思う。拙は招いた相手のことを考えて味付けをしていたので、あまり大きな見当違いはしなかったと思う。食事は出汁の味と組み合わせで如何にでも変えられる。

 

しかし、スイスではこんなことはしない。出来るだけ地元の食材でなんとかするというのが、拙のやり方だ。なにもフードマイレージという環境用語に影響されたわけではない。むしろ、日本独自の昔からの食哲学に通じるものだ。

 

「身土不二」(しんどふに)という言葉はもともとが仏教用語だ。因果応報転じて、「土は切り離せない」という意味に変化している。土とは風土、つまり周辺環境のことで、特に土の自然環境を意識した言葉ではない。

 

1907年ごろ、陸軍軍医の石塚左玄は食養学を提起し、「身土不二」(しんどふじ)を提唱した。居住地の自然環境に適合している生産物を主食に、副産物を副食にすることで心身もまた環境に調和する。「郷に入れば郷に従え」ということか。

 

1945年、戦前の食料不足に対応したソイル・アソシエーションが活動を開始する頃、石塚の身土不二活動は日本ではだいぶ下火になっているが、その且活動内容は今日の英国のソイル・アソシエーションが提唱する「健康な土と健康な食物」の定義と同じものだ。

 

さらに、もうひとつの気づきがある。身土不二活動が日本で呼び起こされた1900年代初めは白衣の天使フローレンス・ナイチンゲールが看護学を確立した頃でもある。軍医であった石塚はナイチンゲールの成果に着目し、看護学と予防学と栄養学との間に接点を見出していたのかもしれない。石塚は現地での兵站調達をする専門官を作るべきだと提案していた。

 

この一連のダイナミズムが、異なる地点で、異なる時期に、新たな時代をつなぎ合わせるように継承されてきたことは、歴史が有機的な繋がりを持つことを説明するのではないだろうか。それぞれの学者たちや活動家に情報を交換する手段があったとは言えない時代の話。

 

こういう流れを見ていて、今自分の立ち位置を知りたくなる。

 

生活の変化とともにダシもずいぶんと変化してきた。日本では自然ダシを使っても家計の負担にはならなかったが、英国やスイスでは自然出汁など望むべくもない。明治の始まりごろ、英国船が北海道から昆布、干し貝柱、干し海老などの乾物を輸送し、「食は広東にあり」という言葉を創出した。しかし、当の英国シェフたちは昆布に見向きもしなかった。悪食と言われる英人にはこういう隠れた秘訣が見えないのだろうか。料理など中国人のシェフに作らせておけばよかったのだろう。

 

日本は美味さの美国だ。我々は実にいい国を選んで生まれてきた。

 

今後のスイスでは地元の食材や調味料を使って似非和食は作れるようになるだろうが、それまでに失敗も繰り返すだろうし、失敗はブログのネタに。そして、見返りとしての成功は拙と家族と友人たちの胃袋に納まることになる。これこそ、牧歌亭。

 

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