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ボンジュールの意味
いつもながら理屈っぽいと言われる拙であるが、本日もおフランス語に関してお理屈が頭の中に生じた。
フランス人やスイス人は散歩の途中で知らない人々に挨拶をする。面倒だな、と思っていたが、ボンジュールやボンソワってのは「こんちわ」や「こんばんわ」よりも口から出易いので、つい挨拶し返してしまう。英国でも散歩中に挨拶するヒトは多いが、目を合わせなければそのまま通り過ぎる。日本人はどうだろうか。散歩していても、ハイキングしていても、人口密度が高いから「こんにちわ」の連呼になる。人通りが多いのに熊除けの鈴を鳴らす人や、買い物バッグをガサガサさせて自然の音をぶち壊す人が挨拶すれば、「うるさい」とでも言えばいいだろうか。家族や連れと話しながら歩いているのに、意味のない挨拶で話がダメになるのはとても心外な侵害だ。
英人でも、スイス人でも、フランス人でも人口密度が低いから挨拶してくれるんだろうな、と思う。だって、街中じゃ見ず知らずに挨拶せんでしょ。因みに拙はリージェントストリートを歩く日本のゲー能人に「こんにちわー」と挨拶したことが何度か。海外で出くわすと、なぜかすごく身近に感じる。言葉使いにそういう含みが現れてしまう。その挨拶の後、食事を一緒にした女優さんもいたなぁ。って、新手のナンパか?いや、もう10年以上前の話だ。
話をボンジュールに戻す。たぶん、ボンジュールには「こんにちわ」とは違う気持ちがこもっている。「次のコミュニケーションの準備は出来ていますよ」というサインが含まれているような気がする。そうではないかもしれないけど、言葉の持つ軽快さを感じる。日本語で言えば「ありがとう」と「おおきに」との違いだろうか。大阪弁が好きなだけかもしれないが、「おおきに」って言い易くて、気持ちの入り易い、いい言葉だと思う。大阪弁じゃないけど、「ありがとうさんどす」ってのも好きだなあ。
こんなことを書いて、後々どのように考えが変わるかが楽しみだ。言語学的に分析して変わらなければ、それはそれで良いしね。言葉って、メンタリティをコントロールするよね。穏やかで美しい言葉使いを心がけたいものだ。