とりあえずジュネーブをうろうろしてます。
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ノーベル平和賞を一番最初にもらったヒトはだーれだ?
と聞かれると不思議に答えを躊躇してしまう。
赤十字社を創始した人物でもある
とヒントを与えられると、やっぱりそうか、と思う。
さらに、表題のように赤新月と言うと何のことだか判らなくなるが、
赤十字・新赤月社連盟と言うと、ちょっと判ったような気になるものの、やはり心の中に?マークは残る。
イスラム諸国では、十字軍を連想するという理由から、赤十字社は新赤月社という名称で赤十字社と同じ活動をする。
ここら辺の話には当時の人々の業が感じられる。
赤十字隊員たちは「国境なき医師団」のように、どんな国であっても紛争地や戦地や災害地に出向いて緊急援助を行う。
でも、イスラムの国々は「うちはいいよ。赤十字軍に助けられたくない」と言う。
「我々は十字軍じゃない。人道主義の立場から不偏不党の救助活動をしているだけだ」
「でも、我々イスラムが赤い十字のシンボルを受け容れられるわけはないじゃないか」
「じゃあ、名前とシンボルを新月に変えるので、アナタの国の中で救助や援助できるように我々の入国を認めてくれ」
「なら、いいかなあ」
ってな具合。
人道主義ってのはとても基本的なもののように聞こえるけど、その実人間を中心としているわけで、環境には良くない考え方という意見もある。 そこで、「待てよ」と人道主義を考えてみると人の道ってなんなのさ、という気付きがある。
フィランソロピーというと篤志家、チャリティという類の博愛行為を伴うが、いつの間にか人道主義はそこら辺に近づいてしまっている。その辺りにはキリスト教の宗教色が強いような気もするが、気のせいだろうか。人権ってのは、最近になって湧いて出た権利意識で、それはやはりあらゆる生命権に相対してしまうような気もする。
ジュネーブってのはいろいろなことを考えさえてくれるところだ。
そういうことを考えながら、国際赤十字・新赤月社連盟博物館内を巡ってみた。
惜しむらくはボランティアによる日本語音声ガイドの女性は北関東の言葉を使っていたので、期待していた標準語のイントネーションとは異なるために、理解や反芻よりも聞き取りに気を反らされたこと。でも、男性はほぼ完璧で、声質は男女ともに良かった。
いずれ、拙声でボランティアしてやろうか。
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Re:是非是非
>私はBritishRedCrossのボランティアをしてはや8年です。
それは驚き。拙はSave the Childrenの職員をしていたこともあります。
録音は、そうですね。でも、赤十字が必然性を感じなければ現状維持になってしまうかもです。
それは驚き。拙はSave the Childrenの職員をしていたこともあります。
録音は、そうですね。でも、赤十字が必然性を感じなければ現状維持になってしまうかもです。