とりあえずジュネーブをうろうろしてます。
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スイスの首都ベルンに行ってきた。
朋友TLJG氏がかつて住んでいた街でもあり、妻とともにどこに住んでいたんだろうねなどと話しながら、市中を散歩。
中世来、侵略されていない街並みは、思っていた以上に安定して見える。こういうところに建築家や都市土木の友人と一緒に来て、意見を聞きたいものだ。
素人なりにこの街を眺めると、治水にはずいぶん苦労を重ねただろうと推測される。
ある仕事で行ったため、街の散歩するので精一杯で、地元歴史博物館などには行ってないから思ったことだけを述べる。また、行くだろうから、その時に今回疑問に思ったことが課題となる。自ら課すのは楽しい。人に課されるのは苦手だ。
中世の町の中心は、城と大聖堂、そして周囲を囲む城壁である。
城は他のカントンと同様に市庁舎として現存、大聖堂はそのまま。
大聖堂のてっぺんまで334の階段を昇る。
行き交う人々は皆英語人。地元民は来ない。
街を見下ろす。
すっごい勾配に街並みが続き、50m以上はあろうかと思われる垂直の要壁が街を囲む。
ローザンヌは空中都市の感があるが、
ベルンにもそう思わせる部分がある。
あの要壁をどうやって拵えたのか、これが今回の最大の疑問。
次回は歴史博物館に脚を運ぶつもりだが、いつのことやら。
他に気付いた事と言えば、
人々の言葉だけでなく、顔立ちもゲルマンなこと。
ショートカットで巻き毛の若い少年かな、とよく見ると女性だったりする。
女性にしてはいかついが、男性としたら手弱女という顔立ち。
で、ドイツ人よりも小柄だ。
食事はジュネーブよりも少しいいかもしれないが、
2度だけの食事では判断不可。
ミグロのテイクアウトはどこでも同じ。
ケバブはトルコ系と思しき作り方。でも、味は不明
パウル・クレイの美術館にも行った。
がっかりしたのは、大したコレクションがなかったこと。
波型の美術館は関空を思い出させると思っていたら、
設計したのは同じピアノさん。
そういえば、関空の現場で働いていた建築設計者たちは皆ピアノ氏のデザインに苦労させられていた。
「構造上、無理なんだよ」
と怒っているゼネコンの社員も多かった。
ベルンでも同じだったのだろうか。
最後に、
「地久の歩き過多」を頼りに店を徘徊。
いくつかの店が見つからない。
閉店時間が過ぎてから目当ての店を見つける。
「住所間違ってんじゃん」
情報も不足しているし、裏を取りきれていないこともいくつか。
かの編集長、このブログもご存知の筈だが。
次回は街並みの画像でも。

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無題
つい最近までスイスの首都はジュネーブだと思っておりました… 人口はどっちが多いのかしら?
そういえばスイスといえばクレーでしたね! スイスに行きたいと思ったことは一度もないけれどクレーはちょっと見てみたいな~
そういえばスイスといえばクレーでしたね! スイスに行きたいと思ったことは一度もないけれどクレーはちょっと見てみたいな~
あすとるさま
>つい最近までスイスの首都はジュネーブだと思っておりました… 人口はどっちが多いのかしら?
国連が多いですからねぇ。スイスは連邦国家なので、ベルンというのも元々は便宜的な首都だったと思います。人口はジュネーブの方が多いですが、中身が違います。ジュネーブは60%が外国人です。残りの40%も重国籍者いっぱい。
それにしても、スイスに行きたいと思ったことがないとは意外です。日本人が旅行先として筆頭にあげるのがスイスで、その次が英国だそうです。なんで、こんなに飯のマズイところばかり・・・。
国連が多いですからねぇ。スイスは連邦国家なので、ベルンというのも元々は便宜的な首都だったと思います。人口はジュネーブの方が多いですが、中身が違います。ジュネーブは60%が外国人です。残りの40%も重国籍者いっぱい。
それにしても、スイスに行きたいと思ったことがないとは意外です。日本人が旅行先として筆頭にあげるのがスイスで、その次が英国だそうです。なんで、こんなに飯のマズイところばかり・・・。
ようこそ!
って、私はもういないんですけどね。汗
ベルンの街のお散歩を楽しまれたようでよかったです。
懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
そういえば、私も結局大聖堂には登らずじまいでした。
近くにあると、ついついね。。
ベルンの街のお散歩を楽しまれたようでよかったです。
懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
そういえば、私も結局大聖堂には登らずじまいでした。
近くにあると、ついついね。。
Re:ようこそ!
ベルンまでこんなに近いとは知りませんでした。やっぱ、今のところは遠い~。