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派手な名前の国際機関がたくさんあるので、ジュネーブとはさぞや凄い街なのだろうとお思いの向きも多いかと思う。
しかし、市内からは10分で湖水浴、15分で国境越えハイキングなどが出来るだけに、その実田舎そのもの。90年代とは言え、ロンドンのナイト倶楽部数件を馴染みに毎晩過ごしていた拙には狭すぎるし、スリルがない。そんなことを言うと、牧歌というネームに疑念を抱かれそうだが、牧歌的なところこそ安らぎを覚える心の拠り所でもある。
日本の牧歌的な拠り所と言えば、農林関係の利権が行き交うカミヤ町のパストラル(牧歌の意)だろうか。かつて、気に入られていた上司に、「行っておいで」と言われて、券を渡され、「先生、万歳!」と叫ぶ秘書のプレゼンが終わると千名は居ようかと思われる参加者は誰とも目を合わさずに立食の高級食に被りつく。先生と呼ばれる政治家はその会場の中をニコニコしながら通り過ぎる。烏合の参加者は政治家を一瞥するだけで、目の焦点は箸の先のみ。食べ終わると誰もが誰とも話をしないで、その場を去る。これがパーテーと言えるのだろうか。これではインフルエンザの感染もないだろうな。まるで、公衆便所だ。いっそのこと、政治献金の集金は公衆便所で行ったらどうか。一回の使用料が「小」ならひと口50万円とか。今では環境族という議員も居るそうだし。環境問題を政治(=利権)で動かされたら、もうどうしようもない。牧歌的風景の拠り所は地球の在り方そのものなんですぞ、と。
牧歌という言葉からだいぶ脱線。
本日はジュネーブから車で40分の地、La Givrineに行って来た。12月29日を最後に1月2日まで何も店が開いていないという情報を仕入れて来た妻の言うことを聞くがごとく、その間、拙宅は皆揃って病床に寝静まっていた。しかし、ようやく回復した正月1日になって久々に朝食もたんと摂り、天気がいいから山に行こうということになった。そして、出発40分後の景色がこれ。
かっこつけやがった息子。
暖冬ゆえ深い雪とは言えないし、ここまでの行程でチェーンはおろかスノータイヤも使っていない。もちろん、山道は急傾斜、急カーブの連続である。標高1228mだから下界は曇っていても、ここは晴天ということも多い。
しかし、今回はスキーデビューにはならない。この雪道をラケットと言われるもので歩くことにした。これは日本でいうところの「かんじき」そのもの。子供たちはどれくらい効果があるものかと、新雪の上でかんじきを付けたり、外したり、納得するまで試していた
「アホだなあ。体重を受ける表面積が広けりゃ沈まないなんて当然じゃん」という父80キロが歩くとあまり説得力がない。同じ大きさのカンジキを付けても体重の軽い子供らよりも沈むのである。
カンジキを使って歩いていると、幾分X脚で歩くので、膝が痛み出す。そして、だんだんイライラしてくる自分に気づいた。先ほどから横をすり抜ける人々が居るのだ。クロスカントリースキーヤーたちである。滑降用のスキーよりも短く、細いスキー板を駆って、見事な轍を残して滑走しているではないか。
この画像、以下のURLで観られます。まさかウェブカメラと同じ位置から撮影しているとは思わなんだ。これはセンスなんすかね。それにしても、このストックを付いているカンジキ歩行者の影でこの画像はダメダメで、とても残念。
http://www.givrine.ch/index.php?option=com_content&task=view&id=4&Itemid=2
クロカンちゃん、なんかいいなあ、と思った。滑降は膝痛の問題があるから難しいけれど、これならいけるのではないか、いや絶対にやれる。どうしよう、もうやりたくてしょうがなくなってしまった。
すると、これから必要になるものは、靴とスキーとストック。他の備品はほぼ整っている。さて、e-bayを物色するか。 あ、これから雪が深くなればスノータイヤも必要か。 ええと、コストは・・・?
来年からは毎年、スイスを無視して絶対にグレートケイマンに行くと叫んだ誓いが元旦にして崩れた・・・のかもしれない。
帰途の景色。レマン湖対岸のモンブランに三重の傘雲。幻想的風景だったんだけど、撮影の技術不足は許されたし。