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温泉に行こうという段になって、そこがヌーシャテル湖畔の街イヴェルドン・レ・バンと聞いて、最初にピンと来たのがぺスタロッチ。
18世紀後半から19世紀はじめまで、貧困者の教育に目を向け、今日の小学校から中等教育の礎を築いたと言われる人物。
拙がなぜこの人物を知っているのかと言うと、学生時代に学んだ教育原理と教育思想史で紹介されたからだ。
この街イヴェルドン・レ・バンの最高の名士と言ってもいいかもしれない。教育学に没頭していた頃の憧憬の人物に会えるような気がしたものの、実際にお目に掛かったのは、この銅像。
右絵は心なしか、菅原文太似?あるいは、ど根性ガエルのうめさん?
18世紀終わりのスイスにはフランス軍が進駐し、紛争となり、戦後にはたくさんの孤児が町の中に溢れた。ペスタロッチはその子供たち、5歳から15歳くらいまで(だったかな?)に教育と食事と寝床を与えた。
現在も彼の関与した学校は多数存在する。
1870年ごろ、ペスタロッチの学校を見学に来た日本人がいる。誰あろう、岩倉具視一向である。
「実際に学ぶべきはスイス」という岩倉の残した書簡や言葉には、当時のスイスの教育レベルの高さと教育が行き届いていて、大きな較差がなかったことを示している。そして、「これなら日本にも出来る」と岩倉は思ったそうだ。
日本は開国から50年で日露戦争を起こすレベルまで国力を上げたという見方がある。ヨーロッパの各国は農業国から産業革命を経て成功するまでに150年掛かっている。ヨーロッパというモデルがあったにせよ、大日本国政府がそのような短期間で近代化を図ったことはやはり驚くべきものだったんだな、と実感。そして、教育の恐ろしさである。
温泉の話が飛んだ方向に行ってしまった。 温泉の話は次回。たぶん。
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