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ここは備忘録なので、それらしくしようと思う。
「今だから書けることもあるのよ」と、銀座の姉御に言われた。まったくそのとおりだと思う。忘れぬうちに書けることは書いておこう。
ネタは毎日たくさん転がっている。毎日が意外性と驚きの連続である。スイスのバカやろうと言いたくなることも少なくない。でも、「こういうものか」と思っているうちに新鮮味を失う。それは英国でも、久々に戻った日本でも起きたことだ。
まずは経過。足の親指は抗生剤が切れる頃にウミが止まった。でも、まだ痛いのでアンティセプティックの軟膏をつけて絆創膏を貼る。1週間以内に腫れが完全に引き、痛みが取れたら施術は不要。これは簡単な手術だから英語を話す主治医に開いてもらえる。フランス語しか話せない奴に切り裂かれるのは嫌だ。でも、日本語を話す狂人に切り裂かるとしたら、もっと嫌だな。
もうひとつの健康問題は少々厄介。実は昨日、専門医に行った。いきなり駐車場の記述で困った。ある施設を使用するための駐車場だ、とフランス語で書いてある。でも、そんな施設は見当たらないし、地図には公共の駐車場と示されている。いい加減なのか、鷹揚なのか判らない。誰に質問しても、フランス語が耳をかすめるのでムカっとする。しかし、ムカっとするのもエネルギーの無駄。適当に見当をつけて覚悟を決めたら、病院の受付へ。レセプションも担当医も英語喋れるじゃんか、嬉しかったなあ。しかも、医師よりも拙の方がボキャや表現は広い。なんだか優越感。東南アジアに行くとシンガポール以外で味わう気分。
診断結果を知って、見通しが付くものの、年明けにはまた診察を受けに行かなければならない。そのとき手術するか、クスリを継続するかが判る。医師は万一のためにと、彼の携帯電話の番号も教えてくれた。こんな経験は今までにないなあ。一ヶ月あまりでだいぶうんざりしていたスイスだけど、いいとこあるじゃん。
処方された薬は6週間分。でも、生薬だからということで、2週間毎に薬局に行くことになった。4週間目が終わった頃がクリスマス。まあ、なんとかなるでしょ。
今日はテレビも少し便利になった。観ないと思っていたテレビであるが、言葉が判るとなると観たくなくても観てしまう。テレビとPCを点けたままの一日になるのかな。
ああ、なんだか事実の羅列だけになっちゃった。でも、こういう事実の積み重ねで話を展開していくつもり。今日考えたことも書きたかったけど、それはまた明日にでも。
知り合いの英国人の話。
彼女はフォークランド紛争の数年後に、
同地の高等弁務官事務所に赴任していた。
彼女はガヴァナー(総督)の秘書だった。
彼女のご主人は一等書記官だった。
いつものように夫婦別々に自宅から車で出勤した彼は、
事務所に到着する直前に襲撃を受け、
還らぬヒトとなった。
これって、テロじゃん。
80年代初めのこと。
自爆テロが報道される今日この頃、
こういうことってやっぱり普通にあるんだよなあ。
日本の戦後にもいくつか隠れた事件があるけど、
今日のようにテロとして扱われることはなかった。
敗戦国のヒトビトの立場に照らしてみれば、
自爆テロが何故起きるかということは理解可能。
それが国家レベルの問題だけでなく、
夫婦・家族レベルでの悲しみに繋がることも然り。
でも、人類って成長しているんだろうか。
世の中、バカばかりに見えるのは拙の傲慢ですか。
2002年、ある英人の結婚式で
アルジェンチン人の隣に座った。
話がサッカーに及ぶ。
「ベッカム?彼は単に顔がいいだけでしょ。それ以上の何者でもない」
「君、この英国人の場に来て、すごいこと言うね」
「いや、僕は事実を言っているだけだよ」
「いやいや、事実ではないでしょ。君の見方でしょ」
「いやいやいや、僕だけじゃない。国の連中は皆そう思っているさ」
2002年W杯の直前の話でした。
あー、どこまで続く。このいたちごっこ。
未来予見学者と言うと、いささかサイエンスフィクションの匂いがします。
ジュール・ヴェルヌとかH.G.ウェルズとか、
子供のころに夢中になって読んだ空想科学小説の作者たちは、
没後の後世になってそのタイトルを受けています。
なぜなら、彼らが空想(予見)した科学技術が、
今日では現実のものとなっているからです。
今では、そのタイトルで仕事をしている人もいます。
昨日はその人物の講演を聴いてきました。
http://www.btinternet.com/~ian.pearson/
内容はウェブの中にあることですが、
冗談を交えて話の上手な講演でした。
「我々にはもはや実体験と仮想経験との違いがありません。仮想経験を第二の人生と呼ぶとしたら、今後の人生もどれだけ楽になるでしょうか。でも、浮気を仮想経験しているのを妻に見つかると、それでも逃げられることがあるので、ご注意を」
世の中にはこんな天才がいるんだなあ。
拙と同じ47歳。
メアド交換したので、今後は親友の一人になるでしょう。
昨日に引き続いて、山の話。
これも先週の話ですが、家族でモンブランのあるシャモニに行って来ました。ここもジュネーブから1時間のドライブ。近いっす。
フランス語圏の人々には「白山」そのものであり、「白山」と言えば「富士山」に匹敵する固有名詞であるわけです。では、他の一般的な「白い山」はなんと呼ぶのだろう、と不思議な気持ちになりますが、まあ、考えなくてもいいでしょう。
拙の知るモンブランと言えば、ナッツのクリームの上に栗の甘露煮が乗ったケーキですが、実物をどう眺めてもケーキには見えて来ません。ケーキのモンブランの命名はパリ説、自由が丘説とがあるようですが、地元にはモンブランという名前のついたパンがいくつかありました。シャモニの市場で飛ぶように売れていて、撮影は叶わず。フランスではこうした週末市場が盛況です。ここで刺身用の魚が入手可能です。でも、モンブラン寿司はなかった。和料理店「五月」があったのはその需要ゆえか。
さて、シャモニの街中を辿り始めると、こんな線路が。
アプト式登山鉄道であります。これだけ平らな面でもピニオンが敷かれているのはいささか疑問であります。箱根の登山鉄道に見られるピニオンと似ていますが、こちらの方がプリミティブに見えます。でも、これで充分なのでしょう。
ここから街中を行けども行けども、ツーリスト・インフォメーションが見えて来ません。道行く人々に聞いても、そういえば最近見ないなあ、とのこと。どこにあったのかを覚えている地元民も皆無。でも、看板や標識はあります。その時、結石のような腹痛が拙を襲います。拙は川沿いのベンチで休み、常備薬を。家族は街を巡ってみることに。
拙がうとうとしていると、妙な掛け声で目を覚まされました。どうせ子供の奇声だろうと目を伏せておりましたが、もう一声の奇声。目を上げてみると、目の前に4名のご老人。「こんなところでうたた寝をしたらあかんよ」という警告だったような気がします。でも、痛みが引くまでの10数分間ほとんどうたた寝しておりました。それにしてもあの発声、あたかも間の抜けたヨーデルの如し。でも、ここはフランス。
家族が戻ると、モンブランに面する山のふもとに向かい、シャモニー谷の反対側の山の上からモンブランを眺めようということになりました。ところが、ロープウェイ基地が大規模な改装中でした。ツーリスト・インフォメーションの事務所もその辺にあったらしいが、人気なし。
やむなく、モンブランのふもとにあるロープウェイ乗り場に向かい、モンブランに登ろうということになりました。で、ここでの問題が往復のロープウェイ料金。4人家族で111ユーロって、ほとんど2万円じゃん。高いけど、滅多に来ないだろうなあ、と登りました。
2317mの中腹Plan de l’Aiguilleでロープウェイを乗り換えます。そこでは万年雪に触れられます。粉雪で、握っても固まりません。あまりの冷たさに手が痛いと叫ぶ息子。陽が当たっていたので寒さは気になりませんでしたが、気温は0度前後かな。ここから、ハング・グライダーで下降する人々も居ます。ここから、モンブラン山頂まで歩いて行く人も居ます。
転げたら、確実に死。年間の犠牲者は10名以上。でも、そこに山があるのね。
我々はさらにモンブランに近づくロープウェイに乗り込みます。ロープウェイ基地に近づくにつれ、徐々に異変が起きています。50名あまりのすし詰めの車内ではかなりの人たちが気分悪そうな表情をしています。拙も頭痛がしてきました。到着直前に車内の真ん中で倒れる女性がいました。軽い脳震盪のようでしたが、これは明らかに急性の高山病。過呼吸と思しき人もちらほら。
ロープウェイを降りて、さらに高いテラスに進む途中、階段や通路のあちこちに吐寫物が見られます。階段を登るうちに拙も息切れします。「あれ、この程度の階段でこんな筈では」と思ったものの、これも高山病の症状。頭もふらふらします。さらに高いテラスに登るにはエレベータに乗り込みます。ロープウェイ基地の標高が3776m。エレベータの到着地Aiguille de Midiが3842m。そこからモンブランを臨みます。
吐き気と頭痛と朦朧とした気持ち悪さと折からの腹痛を抑えながらの絶景でした。でも、子供たちは誰もが元気にしています。若いって素晴らしい。写真を撮ったり、いろいろな景色を眺めては1時間ばかり過ごしましたが、けっこう辛かったです。目の前で突然吐き出す人もいたけど、皆さん、それでも楽しそうでした。
「うえー、げろげろ、いい景色だなあ」
笑顔のゲロゲロを見たのは初めてであります。
昨日紹介した近所の山登り先はこの景色の中にあります。ここも雲海の中。
ロープウェイで下山途中、ペットボトルで水を飲もうとしたら、ボトルが変形して潰れていました。頂上で飲んで、1/4ほどになっていましたが、中身が満タンだったらどうなるんでしょうね。地上で満タンだったものは、4000mの頂で蓋を空けた途端に噴出すんでしょうか?はて?
帰宅して気付いたのがこのボトル。頂上で飲んでから帰宅するまで一度も見ていませんでしたが、2段階で地上の空気圧を受けています。たぶん、標高2000mにしばらく居たので、そこで受けた気圧と地上の気圧との2回に分けて気圧変化を受けたゆえでありましょう。エヴィアンのペットボトルがひょうたん型になってしまいました。もちろん、蓋を空ければ同じ気圧になって元通りのカタチになりました。
気持ち悪くなるくらい、気持ちいい。最近、もっとも気持ちいい経験でした。あと何回シャモニに行くのかな。
情報や記事にも、それをリリースする適切な時期というものがあります。
でも、その時期を逸すると、この記事は賞味期限切れということになってしまいます。
そうすると情報を加工して、発表することになります。
ジュネーブ生活を始めて約3週間、
画像もけっこう溜まって来ました。
レマン湖畔だけでも100枚ほどあります。
単に撮りすぎであります。
以下はその抜粋。
嵐のレマン湖。高波です。怖いです。
空は晴れているのにねえ。
10月の葡萄畑から臨むレマン湖。スイス産ワインは殆ど国内供給され、輸出はあまりされません。フルーティで甘めですが、ドイツワインのようなマッタリした甘さとは異なります。赤ワインはお奨めではないそうです。
お墓参りもしました。エリザベス・ティラーと婚姻と離婚を繰り返した俳優リチャード・バートンはスイスに棲み、客死しました。
アリスター・マクリーンは推理小説家。今でも空港のキオスクで彼の著作を目にします。
次回は山を紹介しませう。