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在スイス日の本大使館主催で明仁天皇の誕生日パーテーが開かれた。
光栄にも招いて頂いたので、もちろん参加。入り口に置かれた天皇皇后両陛下のお写真に敬礼。
その後、数々の日本人の皆様と出会ってスイス到着以来最高の時間を過ごす。
皆でスイスのこと、日本のことを語り合う。いいなあ、和社会。
共通しているのは、ジュネーブの前評判と現実とのギャップ。
そのギャップに皆、怒り、疎外感、悲しみ、脱力感、諦めを感じているようだ。同時にカントリーライフの快適さ、自由、スキー、ハイキングなどアウトドア趣味の面白さを満喫している。好きです、嫌いですなどと簡単に言えない理由がここにある。
まあ、スイスなんて、…基、どこの国でもそんなもんだろう。
一般的には、これからの数年間は旅行感覚で、「あと何日」と念じながら生活して行く人たちもいるらしい。
拙はもうちょっと積極的に考えたいけどね。
さて、明日から数日間は車の仕様変更の第3回目の手続きだ。なんで手続きに何日も掛かるのが判らない。その間、他人の車を借りて運転するのは快適とは言えない。
この閉塞感はいつまで続くのだろうか。日本人社会との接触がなければ、とっくにキレテいるんではないかな。キレる機会を待ちながら、三白眼で正面だけを睨む日本人サラリーマンみたいだ。そんな気分の拙を救って下さった在スイス日本大使館と天皇皇后両陛下に謝意。
ジュネーブと言えば、エスカラードという言葉なしで語れない・・・らしい。
エスカラードと言えば、キャデラックにもそういう車種がある。キャデラックと言えば、元フランス貴族。なんで敵方となったジュネーブの祭の名前を自社ブランドに?はて?誰か調べて。
日本では坊主も走る師走であるが、フランス人ははしごを駆け上る。エスカラードの元の意味は「はしごをよじのぼる」ことだそうな。よじ登って来たのは、スイス人ではなくて、ジュネーブを包囲したフランスのサヴォワ公国の兵隊だった。ジュネーブは四面楚歌の状態から奇跡的に勝利。今日のジュネーブがあるのもこの勝利のお陰だそうな。そして、今では戦勝記念、独立記念としての元来の性格よりも、めでたさの強調されたクリスマス前の盛大な祭だ。
「火に掛けた鍋」をモチーフにした鍋、マーッミット。これを壊して、親類縁者で分け合う。
毎年、時期がずれるのは、1602年に起源することだけに太陰暦で祭日が決められているからだろうか、とスイスに長期在留する人々に尋ねてみたが、よく判らないと言われた。中国の旧正月、西洋のイースターよろしう太陰暦に固辞する祭は多いやね。ま、来年までには調べておこう。いや、本当にわからないことだらけだ。
ジュネーブに勝利をもたらしたのは、主婦と鍋と野菜だったことから、昨今ではその鍋を模したチョコレートが祭の主人公になっている。主婦は煮えたぎったスープの怖さを知っている。その怖さを利用して、ジュネーブの城壁にはしごを掛けてよじ登るサヴォワ兵に野菜と煮汁を振り掛けた。
サヴォワ兵たちは大やけどし、梯子から転落し怪我人続出。煮えた野菜を見て何が起きたのか判らなくなり、戦意喪失する。「かあちゃんに叱られた」ことでも思い出していたのだろうか。その間にジュネーブ兵が反撃に出た。そして独立を勝取る。ドラマチックで面白いが、女性が亡国の危機を救ったことにも重要な意味があると思う。
当時の考え方であれば、女性でも国を救えたんだからと、「か弱き男性たち」を励ましたことだろう。もうひとつは戦いが創意工夫でなんとかなること、固定観念に囚われないこと。武器とは武具だけにあらず。煮えた野菜汁ほど怖いものはない。まんじゅう怖いならぬ、野菜怖い。
戦争というのは、古今東西国民戦線側の勝率が高い。日露戦争で日本は勝った。でも、太平洋戦争では帝国主義を振りかざし、地元ゲリラにやられた。国を失い、命を失うことを思えば、今の腑抜けた日本人でも頑張るだろう。「ボクちゃん、PCゲームがあればいい」なんて言っている奴は誰だ?
祭は12日まで続くので、週末のレポートに出来るかどうか。
おこがましくも、カテゴリーに牧歌亭などと。
でも、海外でどのように健康を維持するか、食べたいものを作り出すかという工夫についても綴ってみたいもの。当初、ジュネーブでのブログ名は牧歌亭にしようかと思っていたほど。
拙はレシピなどはほとんど見ず、料理の画像や原材料を眺めて、こうすれば美味いかもしれないという勘だけで料理をする。基本も何もないから、正道も邪道もない。こだわりもない。我流そのもの。美味くて、健康であればいい、と。 だから、うなぎ屋さんのような熟練を要するものは出来ない。新鮮なうなぎを目の前にしてそれだけは悲しい。でも、刺身や寿司にできる魚は嬉しい。
拙の握り寿司はまずシャリの握りだけに集中。ネタを乗っけて握るなんて離れ業は不可能。
左からワイルドサーモンの寿司、ハマチの寿司、卵焼き、カニカマのコールスロー、やっと漬かったカブの浅漬け、アボカド薄切り。画像外にブロッコリとレタスとカブの澄まし汁も。ボルドーの赤も。
シャリが握り上がったら、回転寿司のように上からペタペタとネタを乗せて完成。気持ちに余裕のある時はちょっと握りを加えるけど、シャリが固くなって崩れて、大方失敗する。その点、バッテラ寿司のように薄い肉であれば、シャリを包み込むように握れる。薄くスライスされたスモークの鮭、カジキマグロなどは寿司ネタに最適。でも、写真は野生の鮭と天然のハマチ。
うりうり、この光沢。
日に二度もアップしてしまった。
今から本職に戻るです。
寿司酢を作ろうとして、酢のカルメ焼きが出来てしまった。いや、本当はなべ底を真っ黒こげにしてしまったのだ。このまま湯に浸しても底が固まると厄介だなと、スプーンですくってみたが、もう遅かりし。底は真っ黒に炭化。
日本に住んでいれば、そんな鍋など捨ててしまうことだろう。しかし、ここはスイスだ。ゆきひら鍋などなかなか売っていまい。
築地のすし屋で餞別として譲ってもらった重みのあるゆきひら鍋。普通に買えば、3000円以上する代物。これがないとあらゆる和食の下ごしらえに影響する。スイスでは買えないし…。仕事の時間も惜しかったが、マイナスドライバーでなべ底を削るが如く磨くこと30分。ゆきひらはほぼ復元された。
削りながら、別の鍋で寿司酢を作る。ひと煮立てして完成。最大の失敗要因はまだ電気コンロに慣れないからだろう。底の丸い中華なべが使えない電気コンロは好かん。熱くなるまで時間が掛かるし、火を止めてもいつまでも余熱が残ることをつい忘れてしまう。余韻も余熱くらい長く続けば、幸福感が増すのではないだろうか、とわけ判らんことを言ってみたくなるお年頃。
ともあれ、今晩はワイルドサーモンの燻製を使った握りずしを作る。
家の中では常時半袖なのはスイスでの定番のようだ。
暖房効きすぎである。
どんなに調節しても家の中が暖かいので、うっかりと薄着で外に出ようものなら、立ちどころに凍りつく。一歩も動けなくなる、と言うのは大げさでもない。英国の寒さとは種類が違う。股引が欲しくなる。皮のズボンが離せなくなる。重ね着も必至なので、出かけるのに時間が掛かる。気づくと、全身皮製品で黒く光る男が鏡の前に立っている。寒さに負けたホンコンやくざか。
冬の遊びと言えば、スキー。これもウェアや備品を揃えるとどうなるのか。引越しで物入りとなり、そこまで費用が回らない。そのスキー場に行くにはスノータイヤが要る。半年間は使うということで、2年しか持たないそうだ。必需品と皆言うが、拙はスキーに行く気はない。雪で大怪我をしてからトラウマになっているのだ。でも、走行する場所によっては警察官に「スノータイヤ履いているか」とチェックされることもあるそうな。履いてなければ、罰金ということもあるまいが。あったら、おーまいが。
町並みも冬支度というか、クリスマス支度。小さな村でもクリスマスライトが点灯する。暗くなればキレイだが、小規模の明かりであるため、残念ながら画像は撮れない。これからはクリスマスデコレーションの撮影をあちこちでして行きたいものだが、どうなるかは疑問。なぜなら、年末年始に掛けて、公のイベントが多い。天皇誕生日も近いしねぇ。
この季節、クリスマス期間は日本には関係ないので、仕事柄コネクションが困難になる。クリスマス当日や翌日のボクシングデイに仕事の依頼が来る。その頃の拙はプライベートに従事していて、仕事が出来ない。そして、自由になるのが年明けごろ。しかし、今度は日本が休みに入る。こうなると、12月23日頃から1月4日ごろまではまったく仕事がし難くなる、という具合だ。でも、毎年家族や親類の閑談を横目に、拙一人が仕事をすることになることも事実。そうならないように、出来るだけ前倒しに仕事をしておく必要があるので、それも拙ならではの冬支度である。
さて、ジャパニーズ・フォンデュ(寄せ鍋)の準備でもするか。イワタニのホースノンの値段が高い。