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と聞いたので、29日に買出しをして1日の晩まで持ちこたえた。2日には生鮮野菜を入手せねばならない。拙宅では新鮮な野菜が不足すると冷蔵庫が空になるのだ。スイスのスーパーは新鮮野菜の種類がイマイチ少なく、鮮度自体もちょと怪しい。賞味期限を待たずに萎れていたりする。
そういえば、同い年とは思えない人間もいるもんなあ。野菜も同じかもしれないが、彼らは賞味期限が切れたわけではない。食べても美味くないだろうし。
で、1月2日妻は出勤。拙は送迎を兼ねて水泳、買い物、洗車をしに行くと、まず水泳は予定通り。国連近くのプールは初泳ぎ者でごったがえす。日本ならお節で朝から一杯やっているのに、これは至極、あれは究極。
買い物の前に洗車をしようと、スイスで初めてジェットウォッシュを試みる。水泳後30分間は汗だくになるので、半袖なのに-2度の外気でも汗が流している。ジェットウォッシャを片手に車の周りをくるくる回る。待ち列の車内では子供たちが半袖姿の拙を指差す。「こんなに寒いのに、バカやん」とフランス語で囃し立てているのだろう。こっちはきっちり鍛えているので、寒くなんかねぃよぉ、と上腕に力瘤を作って、胸筋ピクピクを見せるアホ親父(とはヒトには言われたくない)というものの、10分と持たずクシャミがでることを見越して洗車を5分で終了。
で、買い物の段になって、スーパーミグロの立体駐車場に入ると、あれれ、車がほとんどない。拙のセロリ、赤カブ、ロケット、パセリ、チコリ、レタスはどうなる?と不安を抱きつつ店内へ。「あれ、映画館以外なにも開いてないよ」と息子。
1月2日も休業なんて、当初情報と違うじゃないか。近所の他店に行くと、同じ状況。仕方なく、フランスへ。難民になったような気分だが、糧を求めて彷徨う自分、これが難民の原理かもしれない。フランスに行くと、店は開いていた。ボンジュール、頂戴そのセロリ。
その後判ったことでは、ジュネーブでは1月2日は祝日なのだそうだ。隣接する街街では、フランスも含めてどこも店は開いていたらしい。日本では6月2日だけヨコハバ市民が休むアレに似たようなものか。アレとは開港記念日。でも、1月2日にしたって子供には喜ばれねいぞ。
こうして、今年もやはり「なんで?どうしてそうなの?」という気分で始まってしまったような気がする。一不治、二高、三茄。すなわち、フランス語を学びたくない気持ちは癒えないし、物価の高さでドタマに来るだろうけど、好物の茄子味噌炒めは年中味わえるので今年もばっちり。
本年も残すところ363日であります。って憂う年、ではなくて閏年じゃん。今頃気づいたので、明日はローザンヌのオリムピック博物館へ行って参るつもり。はい、拙の仕事はじめです。
派手な名前の国際機関がたくさんあるので、ジュネーブとはさぞや凄い街なのだろうとお思いの向きも多いかと思う。
しかし、市内からは10分で湖水浴、15分で国境越えハイキングなどが出来るだけに、その実田舎そのもの。90年代とは言え、ロンドンのナイト倶楽部数件を馴染みに毎晩過ごしていた拙には狭すぎるし、スリルがない。そんなことを言うと、牧歌というネームに疑念を抱かれそうだが、牧歌的なところこそ安らぎを覚える心の拠り所でもある。
日本の牧歌的な拠り所と言えば、農林関係の利権が行き交うカミヤ町のパストラル(牧歌の意)だろうか。かつて、気に入られていた上司に、「行っておいで」と言われて、券を渡され、「先生、万歳!」と叫ぶ秘書のプレゼンが終わると千名は居ようかと思われる参加者は誰とも目を合わさずに立食の高級食に被りつく。先生と呼ばれる政治家はその会場の中をニコニコしながら通り過ぎる。烏合の参加者は政治家を一瞥するだけで、目の焦点は箸の先のみ。食べ終わると誰もが誰とも話をしないで、その場を去る。これがパーテーと言えるのだろうか。これではインフルエンザの感染もないだろうな。まるで、公衆便所だ。いっそのこと、政治献金の集金は公衆便所で行ったらどうか。一回の使用料が「小」ならひと口50万円とか。今では環境族という議員も居るそうだし。環境問題を政治(=利権)で動かされたら、もうどうしようもない。牧歌的風景の拠り所は地球の在り方そのものなんですぞ、と。
牧歌という言葉からだいぶ脱線。
本日はジュネーブから車で40分の地、La Givrineに行って来た。12月29日を最後に1月2日まで何も店が開いていないという情報を仕入れて来た妻の言うことを聞くがごとく、その間、拙宅は皆揃って病床に寝静まっていた。しかし、ようやく回復した正月1日になって久々に朝食もたんと摂り、天気がいいから山に行こうということになった。そして、出発40分後の景色がこれ。
かっこつけやがった息子。
暖冬ゆえ深い雪とは言えないし、ここまでの行程でチェーンはおろかスノータイヤも使っていない。もちろん、山道は急傾斜、急カーブの連続である。標高1228mだから下界は曇っていても、ここは晴天ということも多い。
しかし、今回はスキーデビューにはならない。この雪道をラケットと言われるもので歩くことにした。これは日本でいうところの「かんじき」そのもの。子供たちはどれくらい効果があるものかと、新雪の上でかんじきを付けたり、外したり、納得するまで試していた
「アホだなあ。体重を受ける表面積が広けりゃ沈まないなんて当然じゃん」という父80キロが歩くとあまり説得力がない。同じ大きさのカンジキを付けても体重の軽い子供らよりも沈むのである。
カンジキを使って歩いていると、幾分X脚で歩くので、膝が痛み出す。そして、だんだんイライラしてくる自分に気づいた。先ほどから横をすり抜ける人々が居るのだ。クロスカントリースキーヤーたちである。滑降用のスキーよりも短く、細いスキー板を駆って、見事な轍を残して滑走しているではないか。
この画像、以下のURLで観られます。まさかウェブカメラと同じ位置から撮影しているとは思わなんだ。これはセンスなんすかね。それにしても、このストックを付いているカンジキ歩行者の影でこの画像はダメダメで、とても残念。
http://www.givrine.ch/index.php?option=com_content&task=view&id=4&Itemid=2
クロカンちゃん、なんかいいなあ、と思った。滑降は膝痛の問題があるから難しいけれど、これならいけるのではないか、いや絶対にやれる。どうしよう、もうやりたくてしょうがなくなってしまった。
すると、これから必要になるものは、靴とスキーとストック。他の備品はほぼ整っている。さて、e-bayを物色するか。 あ、これから雪が深くなればスノータイヤも必要か。 ええと、コストは・・・?
来年からは毎年、スイスを無視して絶対にグレートケイマンに行くと叫んだ誓いが元旦にして崩れた・・・のかもしれない。
帰途の景色。レマン湖対岸のモンブランに三重の傘雲。幻想的風景だったんだけど、撮影の技術不足は許されたし。
何はともあれ「明けまして雨で立つ吾スイス在」でございます。
暖冬なんでしょうねぇ。
実は、表題のごとくゲイパーテー以来、家族全員が順番にくたばっていました。39度の高熱では30日のお招きにも伺えず、微熱が残り関節各部と異常な筋肉痛では31日のジュネーブ市内のカウントダウンにも参加出来ず、酩酊状態以上に頭も錯乱気味でした。え、いつもだって?持ち味でもある分裂気味なのは認めますが、錯乱ほどではないでしょう、と一人突っ込み。
元旦の朝と言えば、新聞配達でありました。永世中立の最近は毎日新聞の方々に支えられておりますが、ノンポリだった小学生の頃は朝日新聞を配達していました。過去の
「元旦はいつもよりゆっくりでいいよ」と専売所のオジサンの言葉が優しく聞こえて嬉しく思えたのは、朝方の新聞の量を見るまでのこと。専売所から送られて来た「元日特別版」新聞の束は1部の厚さが3cm以上。通常30部は抱えられる7歳の子供の腕には10部が限界。「これじゃ、ゆっくり配っても昼になっちゃうよ」と半べその拙。「しょうがねえじゃん」と半ギレの兄。全部配り終えたのは9時ごろだったでしょうかねえ、兄上。アカギレが治らず冬中手の甲から血を流していたことがもはや懐かしくもあり。
あの頃から想像すると、今こうして異人の妻と半異人のわが子らと、スイスで年越しするのが不思議でなりません。これはもしかして、幻想?
半魚人と年越しするのだったら幻想だろうけど、半異人とであれば、これは幻想ではありませぬ。さきほど義姉から贈ってもらった茶蕎麦を年越しに使わせて頂きました。2日ぶりの食事は腹わたと心に沁みるようです。特にダシの香りはコンフォートを与えてくれます。8時間の時差のある異国の地で、やはり和食は身に、心にやさしいですね。兄家族の配慮に感謝であります。
「新年早々スイスで病明け」 お粗末。
今年もフランス語は好きになれないだろう。
ところで、
今、年が明けたところですが、近所で花火が上がったので、外を見てみると周辺の家のダイニングや居間では、スイス人の皆さんはディナーを始めています。こんな時間に食べて胃がもたれないのだろうか。麺類ならまだ判るが、どう見てもローストものを食べている。これがスイス式なのだろうか? 待て、次号。いや、たぶんしばらく。
本人たちが言って憚らないのだから、ここで述べても構わないのだろう。と言うか、ブログに書いてもいい?と本人たちに聞くと、「素晴らしい話だから構わないよ」とのこと。
言って憚らないことの一つ目は、彼らがゲイであること。因みに拙はゲイではないが、昔からゲイの友人が多い。魅力的な人間であれば、たとえゲイであろうとヘテロであろうと構わない。
最近はすっかりそのナリがあからさまになった。
かつては、「僕は社会に対して、とても我がままな生活をしているから、そのこと以外はちゃんとしなくちゃならない」という態度を取る友人たちが多かった。
ゲイの友人たちは好人物が多い。考え方もしっかりしている。
ただ、20年ほど前に遡れば、彼らには悲哀があり、ある種の同調を覚えた。
「愛しちゃったのが同性なんだからしょうがないじゃん」
という具合だった。
では、愛が最初であるとすると、その対象は異性にもなり得るのかな、とごく親しいゲイ友に質問したことがあるけど、明確な返答は貰えなかった。
愛が最初で、その対象が男女両性であるとすれば、それは究極の恋愛感情に他ならないではないか?
考えてみれば、拙親友たちにはイケ面もいるが、まったくそうではない者もいる。拙はこの上なく彼らを愛しく思う。やはりそれは究極の恋愛感情だろうか。気持ち悪かったら表現を変えるので、遠慮なく言って欲しい。ブログ友でも同じことが起こりうる。だから、年齢差、性差を超えた友人たちがたくさん出来た。仲良くしてくれて有難う、みんな。
で、言って憚らないもうひとつとは、ゲイ友の子供の話。
彼は子供が欲しいという友人のレズビアンのために代理父をしたのだ。
彼はレズビアンの友人に「アナタの子供だから欲しいの。私でも、彼女でもどちらでもいいから、タネを分けて頂戴」 彼はパートナーに相談すると、「ヒトの誕生に関われるなんて、僕らゲイにとって素晴らしいことじゃないか。4人で大事に育てようよ」
2組のゲイの間に子供が作られることになった。
子供は彼らに望まれて生まれて来た子供だ。
もちろん、2組のゲイカップルの親兄弟もその誕生を讃えたそうだ。
だけど、純愛の冷め易さ、怖さ、都合などによって状況が変化し易くなったことも確かな事実。社会保障がある程度機能する限り、こうした傾向はどんどん進行して、新たな形態をつくりだすのだろう。それは自分が心に傷をつけない、相手に心を傷をつけない工夫であり、新たな方法なのかもしれない。
ゲイ友主催のパーテーで考えたこと。
今回は英国の劇場と映画の話。ここでもある程度の英国番組が観られる。
Youtube系ビデオを利用すれば、日本でも視聴可能の筈なので、以下に関連URLを。でも、内容は英語よ。
http://imdb.com/title/tt0464049/
http://en.wikipedia.org/wiki/The_History_Boys
ドラマの内容は、男子グラマースクールで、オクスブリッジ(オクスフォード大学とケンブリッジ大学)進学クラスに振り分けられた18歳の子供たちと教師とのやり取りがメインになっている。
まず、グラマースクールとは、有試験で入学する公立の中高一貫校のことで、これは英国では普通の制度。この試験に受からない者、受ける意思のない者、学力優秀でも近所にグラマースクールがない場合、庶民はコンプリヘンシブ・スクールという公立無試験校に入る。
拙宅も庶民だが、子供たちが特別奨学生なので、私学(なのにパブリック・スクールと言う)に通っている。正直な話、英国のパブリックスクールの奨学生になるのは、日本の学校ほど難しくないと思う。
ともあれ、表題のヒストリーボーイとは、オクスブリッジ受験の専門科目の歴史で、教員たちと生徒が古代ギリシアのロゴス哲学よろしく議論をくみ交わしては、彼らの成すべき方向性を見つけていくものだ。
日本の18歳の受験生は、この状況がまず理解できないであろう。試験はすべてエッセイ(論文)なのだから、基礎学力と言う知識と記憶だけに頼るものとは大いに異なる。
エッセイのような文章を書く素養はインテリジェンスであり、視点であり、想像力であり、それらの素材となるものが知識や情報である。多くの日本人が知識とインテリジェンスとの区別をしていないことがこのドラマを観れば、実感できるのではないだろうか。
実は、このドラマのテーマはそんなところには置かれていない。名誉欲、学歴、本当の学問の面白さと受験用の勉強との乖離、教師が生徒に託す夢、勉学の自由と常識などなど盛沢山なのだが、英国の教育事情を知らずして、このドラマを観る価値があるかどうかは拙には判らない。
たぶん、日本では公開されないであろう名ドラマになる。
別に国際人ぶっているわけではないが、受験を来年に控えた年頃の娘を持つ身としては、子供たちと一緒にこのドラマを観て、いろいろなコンセンサスを共有することが出来た。たぶん、YOutubeなどでしばらくの間は観られると思う。ただし、シェフィールド訛り。
妻が言うには、拙が英国の教育を受けていたなら、オクスブリッジに入って今頃学者になっていただろうとのこと。そんなにマニアックかな。 確かに、ロンドンでは店の看板やマンホールのデザインが気になって、100m歩くのに3時間以上掛かることがある。 寒過ぎるジュネーブではまだ試していない。