[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ロンドン近郊に住んでいた頃、近所にすごく歌の上手い娘がいるというので、コンサートを観に行ったことがある。どれくらい上手いかというと、都はるみや石川さゆりや美空ひばりくらい上手いと言えなくもないが、もっと凄い要素を持っているかもしれない、と思った。
その娘、ジュネーブにコンサートしに来ると言うので、観に行ってきた。
メジャーデビューしてわずか数年間で世界的なメジャーになってしまうのは、音楽業界ならではかもしれない。拙はいつまで経ってもメジャーなライターにはなれないでいる。とほほな事実。
彼女の何が凄いかは聴いての通りなので語るに落ちるから特に述べない。でも、あえて言うなら声の種類と安定性かな。日本の演歌を歌わせてみたいと思うのは拙だけか。
彼女のプロフィールはウィキにも出ているんですね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Katie_Melua
彼女が有名になる前から知っていたので、この世界的な活躍には感無量。歌声はマライヤ・キャリーを思い出させる。ソプラノのような甲高い声はとても苦手だが、ケイティの声質は心地よく、且つ心が揺り動かされる。
帰り道、妻は言った。「声は結婚の最大要因のひとつだった」
え、顔じゃなくて声かよ。ららら~♪

日本に居る頃は気にもしなかったことなのに、在外生活ではないものねだりをしたくなる。
日本の定食の中で納豆と言えば、小鉢に収まっている。他にも焼き魚、汁物、香の物、生卵と焼き海苔などが付くのでそれで満足してしまう。たぶん日本におれば、何年納豆を食べなくとも気付かないのではないだろうか。それだけ食材が豊富なのか。
在外生活では事情が異なる。むしょうに納豆が食べたくなることがある。2合炊いた白飯がなくなるほどの勢いで食べたいのに1パックの納豆では満足できない。必然、高価な納豆の2パック目を開けることになる。
納豆が家計を圧迫する事態になってはならない、と一念発起し、渋谷の投球ハンズで購入した「納豆の素」を取り出す。
生大豆500gに対して耳掻き一杯とある。冷凍してある納豆をタネにする方法はたとえそのタネ納豆が一粒でも孤独に発酵して、協力な香りを引き出すので、やはり菌を使った方がいいと判断する。
大豆は一昼夜水にさらした。もし、これが人間だったら大変なことだ。どれだけふやけてしまうのだろうか。過去には拷問で水責めもあった。実際に聞いた話だが、友人の80歳の母親はバスタブから出られなくなり、二昼夜を過ごしたそうである。動けなくなった理由は判らないが、その後3日間ほど入院したそうだ。怖い。
水にさらされた大豆は心配されるどころか、「ちゃんとふやけたかな」と念を押される。ふやけて喜ばれるなんて、大豆は幸福ものだ。そうか?
蒸したほうが旨みが残るという説が大半なので、高圧釜で蒸すこと30分。蒸しあがった大豆に納豆菌をばら撒く。
これから24時間以上発酵させるために、よく殺菌した40度の箱が必要である。もちろん、茹で上がる前に庫内を40度以上にあげておく必要がある。これは重要なポイント。
最近のウェブを見ると欧米ではオーブンを使うのが主流のようだ。保温機能があれば、それを使えば良いが、庫内に40Wの電球を入れて保温する方法もある。すごいなあ、よく思いついたなあ。
拙宅のオーヴンには50度からの保温機能がついている。しかし、1時間半で自動的に切れてしまう。その自動スウィッチを解除しようと仏文マニュアルを読む。・・・・・・さっぱり判らないので、妻に頼んだが、返事がない。納豆にはあまり協力的ではない。納豆は君のいないときに食べるからさ、と説得。彼女は仏語もドイツ語も出来るので、一応目を通してくれたものの、やはり判らない。試行錯誤してみたものの、なんとも不安定なので、結局クールボックスを使うことに。
湯たんぽと2リットルのペットボトルに熱湯を入れる。あらら、ペットボトルが溶けた。ならば、半分水を入れて漏斗を使って、水の真ん中に熱湯を落とす。これならペットは溶けない。
湯たんぽとペットであらかじめ温めておいたクールボックスの庫内にアルミ箱にいれた納豆を投入。この際、ひとつが雑菌などでダメになっても、他が大丈夫なように箱を小分けにする。納豆製造のリスクマネージメントだ。そして、アルミフォイルで蓋をして、空気穴を作る。
後は24時間から36時間の温度管理。納豆菌の活躍温度は40度から80度。熱湯を入れた湯たんぽとペットは10時間ほど庫内を40度以上に保つ。温度が高いと発酵も早いのか、大豆の表面はどんどん白くなる。
24時間経って完成。と思う。一晩冷やしてからかき回してみると見事な粘り。やはり粘ったモノには達成感が訪れる。高校野球も粘りと勢いのあるチームには勝利以上の達成感がもたらされる。 筈だ。
で、白飯と同じ量の納豆を頬張ってみる。まあ、美味い。しかし、作っているときほどの興奮はない。やはり納豆とはその程度のものなのだろうか。あるいはおいしい作り方があるのだろうか。それは今後の課題。
実はこの納豆、サンモリッツでトレーニングをするマーラ・ヤマウチに持っていくつもりで作ったもの。マラソンも粘りのスポーツだ。
海外のどこに住もうと、邦人として避けられないことがある。
「言葉を忘れる」
漢字検定や日本語検定試験の受験者に海外組が多いと聞くのは、そのためか?拙の場合は1980年代終わりごろからのワープロの普及でかなりの漢字が書けなくなったと思うが、それは日本に住んでいても同じことか。菩提樹とか葡萄とか、以前は普通に書いていたものだが。
「ガビョーン」
死語をつい使ってしまう。日本を離れた時点で、日本文化は停まっている。
「代用を探し求める」
天の原ふりさけ見れば春日なる思い。三笠山はもちろん、車窓に富士山は見えない。虎屋のドラ焼きも売ってない。
「ないものには執着しない」
無くても死には至らないので、虎屋のドラ焼きを忘れようとする。
「諦めが肝心」
邦人として長期的に在外生活していると、自らに押し付ける制約。代用がなければ自分で作るか、諦める。そういうわけで、日本に戻ったときにその反作用が出るんだろうな、と思う。 因みにドラ焼きは好きでも何でもない。
乾燥肌で困っている。
ジュネーブに来て以来、モイスチャー・クリームが手放せないばかりか、身体中に油脂を塗ったくっている。身体中が痒い。
風呂で踵(かかと)を触ると、ひび割れを感じた。これは人生初のこと。台所から使わなくなった鮫肌のわさびオロシを持ってきて、湯船の中で踵を擦る。バスケをやっていた高校時代に踵の皮をカッターで削っていたあの頃には起きなかったこと。踵の皮の厚さは1cm以上だった。まじめにやるとバスケも過酷なスポーツだ。
拙宅からは2面のバスケコートを見下ろす。
このところ、雪や雨でコートは濡れっ放しだ。プレーする者の姿を見ない。
それでも、洗濯モノはよく乾くし、乾燥肌は止まらないし、喉はいがらっぽくなり易い。
ジュネーブはもはや4月間近だけど、東京の2月と言えば、呼吸が苦しくなるほどの乾燥を感じることがよくあった。
ジュネーブの乾燥は年がら年中だが、それほどの乾燥ではないかもしれない。
レマン湖もあるし、河川の水流は日本と同じくらい速いし、最近は雨が多いのでジュネーブは濡れているはずだ。
しかし、子供のころから出来たことのなかった指のアカギレ。
これをどう説明するか。カマイタチ?
PC叩いて出来るわけないしなあ。

ノーベル平和賞を一番最初にもらったヒトはだーれだ?
と聞かれると不思議に答えを躊躇してしまう。
赤十字社を創始した人物でもある
とヒントを与えられると、やっぱりそうか、と思う。
さらに、表題のように赤新月と言うと何のことだか判らなくなるが、
赤十字・新赤月社連盟と言うと、ちょっと判ったような気になるものの、やはり心の中に?マークは残る。
イスラム諸国では、十字軍を連想するという理由から、赤十字社は新赤月社という名称で赤十字社と同じ活動をする。
ここら辺の話には当時の人々の業が感じられる。
赤十字隊員たちは「国境なき医師団」のように、どんな国であっても紛争地や戦地や災害地に出向いて緊急援助を行う。
でも、イスラムの国々は「うちはいいよ。赤十字軍に助けられたくない」と言う。
「我々は十字軍じゃない。人道主義の立場から不偏不党の救助活動をしているだけだ」
「でも、我々イスラムが赤い十字のシンボルを受け容れられるわけはないじゃないか」
「じゃあ、名前とシンボルを新月に変えるので、アナタの国の中で救助や援助できるように我々の入国を認めてくれ」
「なら、いいかなあ」
ってな具合。
人道主義ってのはとても基本的なもののように聞こえるけど、その実人間を中心としているわけで、環境には良くない考え方という意見もある。 そこで、「待てよ」と人道主義を考えてみると人の道ってなんなのさ、という気付きがある。
フィランソロピーというと篤志家、チャリティという類の博愛行為を伴うが、いつの間にか人道主義はそこら辺に近づいてしまっている。その辺りにはキリスト教の宗教色が強いような気もするが、気のせいだろうか。人権ってのは、最近になって湧いて出た権利意識で、それはやはりあらゆる生命権に相対してしまうような気もする。
ジュネーブってのはいろいろなことを考えさえてくれるところだ。
そういうことを考えながら、国際赤十字・新赤月社連盟博物館内を巡ってみた。
惜しむらくはボランティアによる日本語音声ガイドの女性は北関東の言葉を使っていたので、期待していた標準語のイントネーションとは異なるために、理解や反芻よりも聞き取りに気を反らされたこと。でも、男性はほぼ完璧で、声質は男女ともに良かった。
いずれ、拙声でボランティアしてやろうか。
