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とりあえずジュネーブをうろうろしてます。
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数年前に、英国の義妹が拵えたクリスマスディナーは、

この世で初めての経験。

クリスピーで甘い表面のハムから漂う香りには覚えがあるもののなんだかよく判らない。

アロマティックダックのごとき食感で、クリスピーだけど、乾きすぎているわけではない。

仄かに甘く、心地よい清涼感が口の中に広がる。

「ねぇ、ミシェル。これは何でマリネートしたの?」

「マリネートじゃなくて、コーラで煮込んだのよ」

「え、コーラ。私ダイエットしているのよ」

「大丈夫よ。甘味料アスパルテームは甘味中毒を起こすと言われているけど、英国の厚生省は根拠ないと言っているから」

ダイエットしているイヴの一言で、話が食材からアスパルテームに向かってしまった。迷惑だな、イヴ。

のちのち、ミシェルから聞いたところでは、このレシピはナイジェラのものだと言う。

ナイジェラってこの近所の友達?と聞くと、然にあらず、あの高名なナイジェラ・ローソンだった。

このレシピは1度だけ試したことがあるが、スイスではどうだろうか、と試みると、

出来た。最高だった。コカの実の香りが最高。




ナイジェラのお父さんはナイジェル・ローソン。80年代後半の英国蔵相だった。ナイジェラは父親のナイジェルによく似ているが、顔立ちが良いと思う。彼女が料理家として人気があるのは、その美貌にもあると言うヒトは多い。




クリスマスプレゼントを拒否する拙、実は妻に頼まれてナイジェラの最新本をプレゼントした。それは「ナイジェラ・エクスプレス」 スイスでも売られている。 同名の料理番組もある。 日本人には見違わない乳房とヒップを振り回しながら、ナイジェラは台所狭しと動き回る。そりゃ狭いだろうな。

エクスプレスのイミは早くできる料理ということがポイントなのだが、拙に言わせれば、早く太るの方が正しいのではないか、と思われる。それだけ食材の脂質と糖質が高い。

でも、そんな心配を払拭するのがナイジェラの笑顔とその小顔だ。





ナイジェラの笑顔は素晴らしいかもしれない。

その小顔は体型を忘れさせる。

白人の体型はずるいと思うが、やはり顔が命か。

この話、スイスじゃないけど、「英国と暮らーす」的かな。

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この暗さは物理的な暗さである。

ヒトが居ないのだから、クリスマスの飾りもほとんどなく、

冷えた家が並んでいる。

昨日述べたように、近所のスイス人は海外旅行に行ってしまったのだ。

スキーや温泉を求めてジュネーブからスイスに入る人々も少なくないのだが、

国外に出るヒトはもっと多いのだろう。

しかし、空港は意外にごった返していない。

いつも閑散としている。

昨年の今頃、スキーに来た英国の王室一家はジュネーブ空港のカフェで長い時間を過ごしたそうだ。

雪で迎車が遅れたので、2,3時間カフェで茶をすすっていたそうだが、その間誰も彼らが王室だとは気づかなかったそうだ。もちろん、遠巻きにした警護もついているけれど、一般人が近寄れないわけではない。この話はたまたま空港に居た知人から聞いた話だ。知人は仕事柄王室のメンバーと面識があったので、挨拶を交わしたとのこと。ロンドンもそうだが、ジュネーブも自由な街。セレブがスイスに住みたくなる理由もわかる。教育は英国、老後はスイスみたいな。でも、日本のセレブはフランス語はおろか、英語できないヒトが多いからやっぱ移住は難しいんだろうな。スイスで暮らせるほど儲けているかどうかも疑問だしね。老後の永住査証には日本円なら10桁以上の数字の並ぶ通帳が必要だとか?これはちとウソくさいが、まんざらウソでもない。

空港の話に戻ると、

ジュネーブは長距離便が少ないので、ロンドンやベルリンなどどこかのハブ空港にトランジットしたり、パリまで車で行ってしまう家族も居る。彼らの行き先は大概が南の島。スキーの嫌いなスイス人とは、キムチの嫌いな韓国人、味噌汁の嫌いな日本人と同じような印象を受ける。しかし、そういうヒトたちは意外に多いと思う。たこ焼きの嫌いな大阪人に会ったときは嬉しかったが、彼の周囲では珍しくないとのことだった。拙も粉モンは少しでいい。 あ、また脱線。

クリスマス前になって突然近所のスイス人が愛想よくなったのだが、それはこの海外脱出と関係がある。

拙宅はわざわざ子供たちを英国から呼び寄せて、任テンドー・Wiiを購入したり、娘に受験勉強をさせたり、適度な散歩をしてこのクリスマスを過ごしている。お招きも多い。息子の怪我が完治してないから、スキーどころではないのだ。行くのなら、ジュネーブから日帰りも出来ると近所の連中が勧めていたのだが、それには理由があった。

「2週間、カリブに行くのだけど、この子の預かり手がいなくて・・・」

先日、人様の子供を6時間預かったことを覚えておられるだろうか。両親から礼の言葉は貰ったものの、いまだに謝礼さえ貰っていない。おそらく、彼らには自宅で仕事をしている拙がよほど暇に見えるのだろう。これだから、時間通りにしか働かない人々やフリーランスという仕事を理解しない輩には困る。拙はお陰でその6時間を取り戻すためにその夜は徹夜し、2日間の睡眠時間は4時間だった。拙がどうであれ、こちらが請求しない限り、彼らにはみかん一個はおろか、拙に何も支払う気がないらしい。そういうのは非常識というものだ。娘の安全を守ってもらって、有難うという気持ちを「深く」しないのだろうか。まったくもって、理解不能。因みにこの家族はスイス系ではない。

で、今度は旅行に行くからと、猫だの、犬だのと言ってくるのがスイス人だ。犬猫なら前もってペットホテルに依頼するので、土壇場になってその費用を節約したくなったなどと平気で言うところがスイス人の凄さ。じゃあ、こちらにその分の見返りが来るの?と言っても良いのだろうか。こやつらのエゴイズムは無限だ。

一番最初に頼まれたのは、ギニーピッグだった。

え、どんな豚か?って。

豚ではなくて、こんなねずみです。完全草食性で、神経質で、なかなか慣れなくて、表情の乏しいマヌケ。日本ではモルモットというですか?以前、航空社に居た頃の話。英国側からのキャビンバゲッジに「ギニー・ピッグ」を持ち込みたいという依頼があった。日本側の本社予約コントロールでは英国の英語が判らないので、「どんな豚だ」と大騒ぎになり、ロンドンに居た拙に質問が来たことがある。



こいつらが2匹も家内に居る以上、他に犬猫などの面倒を看られる筈が無い。と、丁重にお断りし、来年の冬は絶対にグレートケイマン島に行くと心の誓いを述べると、近所のスイス人たちは残念そうに帰った。でも、可愛かったなあ、あのジャックラッセル。

来年から毎年グレートケイマン行くぞ、絶対。スキーなどやるものか。やるならダイビングだ。拙は海の男だ。潜って、ウニ採るぞ、食うぞ。


因みに、モルモットたちの食事代はけっこう掛かる。実費請求できるかな。面倒看るのは、けっこう楽しいけど、別れが寂しいかな。




25日は予定通りレマン湖北に住む縁戚の家でクリスマスデナー。

英国本来のクリスマスであれば、


朝9時ごろにディナー会場となる親類の家に集合。その家のクリスマスツリーの下に貰ったプレゼントのすべてを置く。この時点でプレゼントは開封されていない。
朝10時、近くの教会でミサ、
11時までに解散、
帰宅してディナーの準備、
13時ごろクリスマスディナー、
スターターは海老もの多し、
メインはロースト多し、
デザートは2~3種類、
満腹になったところでプレゼント交換。プレゼントにはすべて宛名がついている。配るのは最年少の仕事。

スイスも似たようなもののようだ。

しかし、今回教会の行程は省かれた。ここが一番大事なんじゃないの、と問うと、皆「えへへ」と苦笑ぎみ。日曜学校で子供たちにキリストの教えを説く妻の両親もそれは仕方ないことだと言う。英国でもスイスでも神様は瀕死の状態だ。なぜなら、人間あっての神であり、人間なくしては神は存在しないというのが持論。信仰するものが絶えれば、その神も死ぬことは文化人類学や歴史の中でいくらでも事例がある。例えば、民族の滅亡は彼らの宗教や文化の終焉を意味するでしょ。イースター島を例にすれば判り易いかな。

我ら家族もフランス語では意味不明の牧師のpreachを聞くつもりはない。ということと、ジュネーブ市内の英国系教会に行ってたら、招いてくれた妻叔父夫婦に迷惑がかかるということで、ミサをスキップしてしまった。

拙は拙で、この機会を毎年楽しみにしている。牧師と語ることが出来るし、社会の傾向性を掴むことも出来るからだ。若くても、インテリでも信心深いヒトたちはたくさん居る。しかし、そんな彼らも友人たちを教会に導こうとか、得度しようとはしない。今、神の領域に触れることの出来る人たちは自ら考えることの出来る才人たちであるような気もしている今日この頃。

ともあれ、今年は教会に行くのを諦め、妻叔父のGF宅に向かう。妻叔父Tは60歳で2人目の妻と4人目の子供をこさえた猛者、いや色男。彼の3人の息子は26歳B、24歳D、22歳Jで皆イケ面で、好人格者たち。拙は10年ぶりの再会。Jはバーミンガム出身の元気なGFを随伴。TのGFであるKはスイス人。拙よりもだいぶ若い。やっぱ、Tは色男か。Kはフランス語、ドイツ語、英語、フラマン語を話し、ある専門職で博士号を持つ才女。その母上も見えていて、スウェーデン語、ギリシア語、スペイン語まで話すだけでなく、高名な彫刻家。拙妻は日本語、ドイツ語、フランス語、もちろん英語の4カ国語。Kの叔父叔母も参加し、彼らは英語とフランス語が少し話せるスイスジャーマン。ディナーの会話は日、英、仏、独の4カ国語が入り乱れる。

かつて、タモリの四ヶ国語マージャンというネタがあった。端からみれば、我々の集いはあんな風に見えるのだろうか。でも、あのネタのように「チョンボ」という一言でケンカが始まるわけではない。我々の集いではお互いのコミュニケに助け舟を出し合うという構図だった。あんなネタを30年以上前に思いついたタモリは天才に違いないが、実際に「私的な」クリスマスで四ヶ国語コミュニケを経験してみるとは思いも寄らなかった。

帰宅したのは午後10時ごろ。しかし、どうも周囲が暗い。そういえば、「明日から南の島だ」という隣人が多かった。そう、スイス人のもうひとつのクリスマススタイルは、住居はスイスだけど、年に10回以上3週間程度の海外旅行をするというもの。スイス人はスイスに在らず。


昨日の続きの予定を、ちっと変更。



2004年の暮れから始めたブログ生活、

今はなきスペース「英国と暮らーす」から始まり、

まだスペースを残す「英国と暮らーす」改訂版、引越し版、

そして、この「勝手ながら・・・」で既に4つ目のブログ。

クリスマスをどのように語ってきたか、というと、

日本人には知られざるその裏側、

必ずしも喜ぶ人々ばかりではないこと、

食事で胃がもたれること、

自殺者がこの季節に急増する背景、

本来のキリスト教とは関係ないこと、

などなど一見して否定的な側面を強調してきたかもしれない。

でも、否定的に思うヒトはなぜそれが否定的であるのかと考えて貰いたかった。頭ごなしに否定的であることが悪いと言い切るのは、その当人の思考欠如の方が問題であると思われる。むしろ、拙のようにクリスマスに孤独を感じていた人々には客観的な判断材料を提供できたようだ。

なぜなら、「ああ、そういういうふうに感じていたのは私だけではなかったんだ」という意見がいくつも寄せられたからである。子供の時から「どんなときでも明るく、元気で」と教育され、思考力の欠落した良い子ちゃんたちにはわかりにくいことなのかもしれない。日本に良い子ちゃんはとても多い。スイスにも多いような気がする。英国は天才とバカばっかりだ。天才はバカを無知とさげすみ、バカは天才を非常識と罵る。 あ、また話が脱線した。



本日は大勢(たいせい)の家族がひとところに集まって、クリスマスディナーを愉しむ。

拙宅でも今年はそうすることになる。たまたま、スイスで出来た縁戚と親類とが集まる機会があるからだ。

ただ、ここ数年、このクリスマスのあり方に疑問を抱いていたので、

実際に行動を起こしていた。

そのひとつは、クリスマスやボクシングデイにチャリティ参加することである。

しかし、随伴する子供たちの年齢が18歳以上でないと参加が認められないとか、

その団体に正式会員として参加していなければ、スポットの活動参加は不可ということだった。

でも、拙ら夫婦のこの話に乗って、今年から何名かの友人、知人、近親者たちがチャリティ参加を始めた。

例えば、妻の叔母がその息子が一緒に参加したのは、

クリスマス・イヴからボクシングデイまでの3夜、彼ら親子はロンドンのホームレスたちにクリスマスディナーを提供する活動だそうだ。

富や幸福は分け与えられるべきものである、という教えを守るつもりはない。だって、そんなの変だろ。ただ、せっかくキリスト教文化圏にいるのだから、その中で自分の納得できることをしたいと思うまでだ。

拙はクリスチャンではないが、小4から3年間ほどキリスト教会に通ったことがある。

聖書の話が面白かったこと、ドイツ人宣教師の子供たちと仲良しであったためだ。

さて、「本来のクリスマスディのあり方とは・・・」

と考えるきっかけを作ってくれたあの家族、

今頃どこでどうしているのだろうか。

ドイツのある都市からxxxx年ごろ日本に来たことと家族全員の名前は覚えている。

今住んでいるスイスからもそう遠くはない。

親切だったあの家族に会いたいなあ。

まず、在日ドイツ大使館に連絡してみっかな。


因みに、クリスマスデイズは本日から12日目の1月6日まで。


クリスマスにはけっこうお呼ばれがある。

在スイス英人社会はクリスマス期間にけっこうジュネーブに残っている。

どうやら親類縁者がスイスに来たがるらしい。

招かれているうちに、スケジュールが詰まってしまい、

こちらからお招きする日程が立たなくなってしまった。

連日の飲み食いは正直なところけっこうきつい。

招かれた席では何も食べず、帰宅してから一人お茶漬けをすするなんてこともある。

このお茶漬けの幸福感、判るかなぁ。

いえね、年齢を経たせいか、どうも脂の食事が苦手なんす。

胸焼け八町、走って八丁って古典落語の世界。

忘れてください。

ともあれ、招かれる以上は、なにかプレゼントを持参しなければならないと日本人以上に体裁を気にする妻が言うには、クリスマスマルシェに行こうとのこと。

寝ぼけまなこで受け答え、

ジュネーブの旧市街とか、カルージュにもいいところあるんじゃないの?

と言いつつ、「モントルー」という地名を妻が言うなり、

お、フレデー・マーキュリーの住処、デープ・パープルの「水上の火事」、詩人バイロンの退廃生活・・・などを思い出す。特に英人バイロンが面白いおっさんなのだが、これも語ると長くなるので、後日。いや、本当に許せねえよこいつ、という人格だけどなぜか憎めない。この時代にこういう人物多いねぇ。

ともあれ、車でモントルーへ向かい、まだ朝早く市場にはヒトもまばらなので、第二の目的であるRoches de Naye山のある一路登山鉄道へ。

このRochers山に向かった理由は、頂上にサンタの村があり、オトナでもけっこう楽しめるということ、スキー場があるとのこと、そして登山鉄道に乗れるということ。

オジサンたちはどうしてこうも乗り物に弱いんだろう。

モントルーの駅で切符を買い、登山鉄道の道中で食べようと、近くのCOOPでサンドッチを購入。箱根の強羅駅を思わせる駅舎で、50名あまりの酔漢たちと鉢合わせ。うるさいし、くせー。

発車するなり、息子はサンドッチを頬張るが途端に食欲を失くす。

後ろで誰かが強烈なニオイを放出。

吐くなよ。息子。

酔漢たちは二駅後にホテルの前で一斉に降車。このホテルの雰囲気、やはり箱根あたりのなんたらに似ている。

その後、列車は1時間の道中、何度かトンネルを繰り返す。

繰り返すたびに濃厚な雪景色が広がる。



これ、わずか10分で標高1000m超え。線路の真ん中のピニオンの高さが箱根の比じゃござんせん。でも、スイッチバックはなかった。



あこがれのコックピット。極めて単純。最高速度は20km/h.



そば焼酎が飲みたくなる景色。航空マンなら、就職後必ず感動した景色でせうね。




雲海とはよく言ったもので、1000m付近の村が島のように見えます。つまり、1000m以上は晴天。その下は曇天。なんだか、「新しい」豊かな生活を知らされた気分。なぜなら、ここの住民は海抜1000mでありながら、天候に恵まれ、文化的な生活を享受しているんです。

まだまだ、スイスのことは学習中であります。

モントルーの続きは次回。





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