とりあえずジュネーブをうろうろしてます。
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英国に住んでいた頃はほぼ毎日1km泳いでいた。
泳いだ後は爽快で、2時間ほど汗が止まらない。水泳が全身運動だとは思わないが、かなりの有酸素運動であることは確かだ。
スイスに来てからは週に3回。でも、3月以降はまた日課になるだろう。
毎日泳いでいると、筋力も安定してくるのか、コンスタントに25mが19秒くらいだった。しかし、3ヶ月少し前から運動する機会が不規則になって、2,3週間泳げなくなることもあった。そうなると、泳ぐ速さにも影響する。
現在は3箇所のプールを使っている。どれも公営プールだ。プライベートのジムでプール付きというのは、ジュネーブではあまりお目にかかれない。インターコン・ホテルのジムとプールの料金を聞いて、釣られた深海魚の気持ちがよく判った。
公営プールのくせに、英国のプライベートジムよりも高価なのはどういうわけだ。ということで、週に3,4回にとどめているわけ。
でも、年通しで購入すると僅か2万5千円で済む。普通に入ると、1回450円だから、55回入れば元が取れる。拙は少なくても200回は通うから元以上だ。公営プールはこんなでいいんか?
年通しで買える期間は決まっている。1年分を3月に買うのが一番特なんだが、4月に買っても、8月に買っても、一年チケットの値段は同じで、有効期限は2月の終わりまで。
理由を聞いたが、両手を広げられてしまった。
それなら、拙にも出来ると真似をしたら、少し怒っていた。英国人なら笑う場面だ。やっぱ、こいつら冗談も通じないんで、スイス人と判明。
更衣室は完全個室になっていて、人のと交流なし。つまんない。
プールでは誰も彼もが一生懸命泳ぐ。水深が2m以上あるので、休むこともままならない。拙の場合は5分(250m)泳いだら、浅瀬か陸に上がってストレッチをする。そして、一気に500m。1分休んで、迷惑バタフライで100mと残りの距離を泳ぐ。
25m19秒平均というのはけっこう速いほうだと思っていたが、プールによってそのレベルが異なる。一番緩いのはジュネーブ市内のうらぶれたプール。ここは老人ばかり。でも、皆かくしゃくとして格好いい。年齢の割りに結構速い。ここは英語の出来るスイマーがいるので、話も弾む。でも、拙宅からは遠い、と言うか行き難いので、まだ数回しか行っていない。
もうひとつは国境を越えたところにあるプール。ここは最新の設備。でも、英語はまったく通じない。ここは既に15回ほど行ったが、ジャクジーもどきもあるので、なかなか快適。ここに来るヒトも肥満者はゼロ。老人でもしっかりと泳ぐ。
さらに、もうひとつは国連近くのプール。たぶん、ここが今後の常連の場となる。でも、あまり好きじゃない。理由はたくさん。設備が古い。職員も半分くらいは英語ダメ。スイマーは多国籍だが、英語を話すヒトは少ない。ジャクジーみたいな社交場がない。泳いだら帰るだけ。若い者はとても速くて、追い越されるのに慣れていない拙にはちょっと辛い。奴らの25mは15秒くらいかな。国連の若い職員?勤務時間がフレキシーなので、彼らは何時に行っても泳いでいる。
以前、誰かが言っていた。
「スイス人にとって、プールはリラックスするところだ」
じゃあ、泳いでんのは誰だよ。
奴らに合わせて泳いでしまい、当方は息も絶え絶え。
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1900年、パリで開催された第二回オリムピックに参加した日本人がいる。
誰あろう、誰でもない3名の飛脚である。
3名はマラソンに参加し、3名とも当時の世界記録を塗り替えた。
そして、その記録を42.195キロに換算すると、「え、なんでそんなに速いの?」と思われるほど、区間記録が短い。実際に彼らが42.195キロを走っていたら、マラソンの歴史は変わっていたのかもしれない。
彼らについての記録はローザンヌにあるオリムピック博物館には残されていない。
なぜなら、彼らがオリムピックの歴史から抹消されてしまったからだ。
ある出版社の依頼で取材したものの、こうやって我が事の興味を追求してしまう。
なぜなら、彼らの依頼よりも、自分の興味や欲求を満足させたいから。
ともあれ、当時の彼らは現在で言う「ドーピング」に近いことをしていた。
それは表題のごとく「飛脚」、つまり「プロの走り屋」であったことだ。
当時のプロ規定は厳しかった。
そのために、金銀銅は日本から剥奪されたとか? でも、この辺の記録は曖昧。
昨今、高橋オバQという女性などがプロ宣言をしている。
彼女は走って人々に夢を運ぶが、飛脚は書簡や荷物を運ぶ。
なにで稼げるか判らない時代になってきた。
と記録しておこう。