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まず、マーラの続報。
彼女の優勝以来の12時間に送信された日英の両方のグーグルアラートの合計数は24件に及んだ。英系メディアもマーラの快挙に大きな反応を示しているんでしょうな。
さて、
息子の話は久しぶり。
覚えておいでの方も多いだろうが、奴は10月のはじめにラグビーで大怪我して、今シーズンのスポーツ活動を棒に振った。
あらゆるスポーツで中心プレーヤーだが、奴の目指すものはイングランドのプレミア・サッカー。確かに、フィットネスの能力はかなり高く、柔軟かつ俊敏であることと、頭脳的なプレーヤーであり、技術的には大人も魅了する。でも、足はそれほど速くないし、力も大したことない。プレミアの道は険しいと思うものの、息子の可能性を応援したいのは親心。
怪我をして試合に出られないと言えども、息子の所属チームの結果を見るのは毎週日曜日の日課。昨日その結果を見ると、上位4位に入る息子チームは最下位チームに対し、1対1となっている。つまり、引き分け?
それは意外なことだった。
試合を観に行った息子に聞くところでは、こういうことだ。
審判のジャッジに対して、子供じみた態度を取ることで有名な相手チームの監督「山椒大夫」が抗議を始めて試合が中断した。そのうち、山椒大夫は息子チーム監督Pを罵倒し始めた。Pは審判の判断に従いたいと思うと述べると、山椒大夫はPに殴りかかった。ちなみに山椒大夫は160cmそこそこ、Pは2m近い。その様子を相手チームの親たちが批判した。Pは何もしていないのに、PがFと乱闘を始めたことになってしまった。
もちろん、こちら側の親たちも黙っていない。男女問わず、掴み掛からんばかりの乱闘間際となった。その気配を察して、審判は没収試合とし、結果は1対1のドローとなったわけ。
その際にPは審判から警告を受けた。
「でも、私は何もしてない。あなたのジャッジを支持しただけです」
「でも、アナタはこれで2回目ですよね」
「ええ、確かに前回もこのチームと対戦したときに、問題がありましたが、私はそのときもジャッジに従うことをアピールしたら、山椒大夫に殴りかかられたのです。私に何か落ち度がありますか」
「裁定はFAが行います。私は報告するだけです」
「ちょっと待ってください。あなたは前回の時も審判でしたね。何を報告するんですか」
「私は審判ですよ。口を謹みなさい」
Pは前回の警告を受けてから1年を経ていない。彼がもし除名処分にでもなれば、チームの存亡に関わることだ。Pはストレートで温厚ないい人間だ。しかし、山椒大夫はプレーの目立つ息子のことをチンキー(中国人の蔑称)と呼んだり、正々堂々の意味を取り違えて、レイシズムに走る社会常識の欠落した人種だ。
山椒太夫は審判に裏金を渡しているかもしれない。
プロに関わってくると、サッカーではこういうこともあるという話。親たちも自分たちが浮き上がりたいと必死の様子。でも、息子に頑張らせても本人たちがそれじゃぁ、・・・ね。実にくだらんです。
息子には、こんなスポーツやめろよ、と言うものの
「でも、一番好きだから」
親はどうしたらいい?
1月27日、大阪国際女子マラソンでマーラ山内が優勝しました。
http://news.osaka-marathon.jp/
北京五輪選考にも関わる大事なレースだった筈です。
世界中からメイルが届いて知りました。彼女のブログに直接メッセを送ってやってください。
http://marayamauchi.blogzine.jp/japanese/
いいニュースで目が覚めた。
この結果はマーラの克己心や完璧な体調管理はもちろん旦那のサポートの成果そのものです。
このブログにもコメントして下さった「くもり」さんにも有難う。
それにしても、「女史」マラソンとしたら、マーラは永遠に世界一だろうな。
間もなくちょっと広いところに引っ越す。広いと言っても、部屋数が多くなるだけで、敷地面積はむしろ狭くなる。家の質も機能も下がる。家が古いから仕方ないのかもしれないが、やはり住むなら新築が最高だ。誰でもいい家に住みたいから、改良を重ねた最新の家に住みたいと思うわけだ。
でも、ロンドンの拙宅は築80年だった。
部屋数が増えると来客が増える。日本からも英国からも拙の料理を目当てに訪れる人々の予約が始まっている。こちらとしても話し相手が出来るのは好ましい。
ジュネーブに来てからの拙宅のご馳走は生魚だ。
アニサキスを見つけても怯むことなく、退治しては生魚にありつく。
今までに試したのはハマチ、シーバス、鮭、マグロ、イカ、鯵、ホタテ、ひらめ、カレイ、うに、その他にもスモークの野鮭やタラコなどなど。 さすがにイワシとサバは火を通した。レマン湖にはパーチ(ペルシェ)という魚も生息していて、それも美味。食感がキスに似ていて、味は鯛に近いだろうか。淡水魚なのに泥臭くない。
本日は生まれて初めてカレイをさばいてみた。
日本では行きつけの築地の店で、5枚おろしにしてもらうという豪勢なことをしていたが、ここスイスではそのようなことを頼めない。まず、ウロコ取りから始まった。
困ったのは腹の辺り。柔らかすぎて、うろこのそぎ落としがままならない。しかし、コレをちゃんとしないと歯が立たなくなって5枚おろしは難しくなる。アルミたわしで腹付近をやさしく擦っても、鱗は取れない。ならば、と刺身包丁でカリカリと削ぐように鱗を取る。でも、いつまでやっても不完全。ウロコ対策はさておき、次行程に。
教わったようにやってみるが、骨からの肉離れがイマイチ。あまりの下手さに呆れる。それでも、何とか皮引きまで辿り着く。皮引きは問題ない。身と皮とが完全分離。
夕飯はセロリとにんじんのサラダ、大根と白菜の味噌汁、鮭とカレイの刺身。刺身にはポン酢とダシ醤油の2種。
今、移転前であまり食材が充実してないのだが、それでも旨いものを食べられた。刺身にすると、やはりヒラメよりもカレイの方がコリコリ感があって旨いと思う。
今まで、一番旨かったのはハマチかな。
スイスを初めとする欧州各国にはプライベートバンキングという富裕層を対象にした金融サービスがある。あらゆる危険性から保護されるために、預金者は銀行に相当の費用を払わなくてならない。架空のスナイパー、ゴルゴ13もこういうシステムを使っている。
拙宅でもスイスの都市銀行に口座を設けているが、プライベートのシステムを利用するほどの運用範囲ではない。スイスには都市銀行が2行あるが、スイス銀行という日銀のような銀行はない。ゴルゴ13が使っているとしたらジュネーブ市内の地方銀行かもしれない。
スイスのプライベートバンキングの場合、1千万円以上の金さえあれば、無記名でナンバーズ・アカウントという口座を作れることから、闇のお金も多く流入してきたという歴史を持つ。映画や小説でも題材にされるこのシステムは、マネーロンダリングの温床として名高くなったことは皆さんご承知の通り。そして、テロなど非合法、且つ非人道的な活動を行う資金として利用されることが指摘されて以来、この口座の新規開設はハードルの高いものになって来ただけでなく、ヤクザマネーなどは追及されるシステムやルールも作られている。
日本は日露戦争の頃、スイスの銀行とユダヤ人預金者に助けられている。ユダヤ人を迫害するロシア人を人民戦線でやっつけて欲しいと願ったから日本に融資した、という説が大勢だ。そのときの金の流れにスイス銀行は大きく関わって、かなり儲けている。
ちょと話が飛ぶ。1940年に在リトアニア日本国領事であった杉原千畝(ちうね)という人物がポーランドから亡命するユダヤ人に日本通過ビザを発給した。その数は6千名分。
しかし、このビザは大日本帝國政府からの発給許可は下りていない。杉原は人道的な見地と不明瞭な日本政府の判断という状況を考慮して発給を決行した。
杉原の話は、以下のサイトでいろいろと確認されたし。拙はこの人物を知ってから、なんとか歴史小説にしようと考えていたが、「命のビザ」というタイトルでテレビドラマにもなり、かなりメジャーな人物になってしまったので、数年前に企画をやめてしまったことがある。近々に神戸で中島みゆきプロデュースのミュージカルも開催される。行きたいなあ。
杉原千畝
http://www.chiunesugihara100.com/visa-unmei.htm
ミュージカル
http://www.rise-produce.com/sempo/index.html
ここ150年間の歴史を辿ると、日本とスイスとの繋がりはけっこう多くて、その都度深いと感じる。現代は金のつながりが最も多いだろうか。しかも、それは日露戦争の頃のユダヤ人絡みのものが続いていたりするから、どこで繋がっているかが判らないこともある。
日本の各省庁も隠し財産を保有し、かなりの額がスイスの銀行に置かれているという話もあり、その信憑性も高い。余計なことを書くと、ブロガーと言えども刺されるかもしれないので、これ以上は述べない。
スイスに生活しているだけで、なんとなくその繋がりの糸が解れてくるのが面白い。システムやルールの中に反映されているもの、歴史を語ってくれる人々、スイスならではと思っていたもののコンセプトが実は外国人移住者に拠るものだったりする。彼らは自分たちが住むスイスを豊かにするために、独自性を出して行ったわけだ。だから、「スイス銀行」という言葉も出来たんだろう。
そうそう、忘れないうちに先日のダボス会議での話。環境ランキングでスイスが1位、日本は23位に後退とあった。近いうちにこのランキングを検証してみたい。でも、どこかの編集者が採用してくれそうだったら、掲載できないので、ゴメンね。
ベッドから開放されると、さっそくメディカルボトル(尿瓶)に用足し。ボトルで毎回、看護士のチェックを受ける。大変な仕事だが、こちらも必死。焼けるような痛みを伴うので、緩慢な用足し行程。苦痛で顔もゆがむし、身体はドジョウのようにくねる。
溜まったモノを見ると真っ赤で怖い。とにかく水を飲めと言われたので、術後4時間以内に4リットルは飲んだ。回数を重ねるごとに赤ワイン色からロゼに変化。白ワイン色になるまで待つこともなく、退院が決まる。
色が変わるのを待つ間、医師が石を持って現れる。執刀医だ。と言っても、メスは使っていない。先日も述べたが、開腹手術ではないので、operationではなく、interventionという言葉を使っていた。試験管に入った石は最大直径11mmの見事な石だった。こんなのが詰まっていたらそりゃ痛いだろうな。「2つとも取ったのか」と聞くと、「Non.ひとつはマシンで破壊した」とのこと。それは正しい答だ。尿管の石はマイクロスコープで取り除かれ、今目の前にある。腎臓内の石はショックウェーブで破砕され、まだ体内にあるものの大量に水を飲めば、2,3日内で排出されるだろうとのこと。
取り出された石は検体にされ、成分を調べる。それで結石の原因が判る。拙の身体がどんな飲食物でクリスタルを作ってしまうのか。一般的に言われているものとは異なる食べ物で作ってしまうこともあるとか。検査の結果が楽しみでもある一方、今生の別れを告げる食材があるのかもしれぬ。
このときに判ったことだが、拙が麻酔で眠らされている間に、施術2回と施術結果確認のX線撮影が行われていた。彼らにしてみれば、慣れた作業なのかもしれないが、完璧なオーガナイズだ。
X線の結果と退院の確定を医師が伝えてくれた19時ごろ、夕飯を食べていくかと、看護婦にと聞かれた。食べても、食べなくても治療費は変わらないのだろうな、と思ったが、自宅に戻って好きなものを食べたいと思った。
思えば、盲腸で築地の大病院に入院したときも、歩けるようになると朝食と昼食は築地場外の友人の店を頼った。病院食を食べたように見せかけて、さっさと着替えて築地に走った。特に「きつねや」のホルモン煮込み、焼き豆腐、お新香、白飯は最高だった。ホルモンは石を作りそうだが、食べる頻度は週に一度だから、そんなに影響はないと思うのだがどうなんだろうか。
病室からの景色はジュラ山脈が美しかった。同室は6名のお爺さんで、皆仏語で「ジャポネ、ジャポネ」と口にしていたが、直接話しかけてくることはなかった。なんだか無礼だ。でも、どうせ仏になるのもすぐの連中なんだろうから許す。
部屋の隣が茶話室で、拙はほとんどの時間をそこで過ごした。そこであれば、爺さんたちの治療の様子を見なくても良いし、うめき声を聞かないで済む。後学のために見ておいても良かったかもしれないが、見たいものではない。
その茶話室でA5ノートにメモを書き綴りながら退院の許可を待つ間、ずっと待っている男性がいた。年のころは60歳頃、スリムで引き締まった身体をしていることが判る。たまに来る医師と看護士との会話はフランス語なのでよく判らなかったが、どうやら拙と同じ症状で、同じ状況、つまりベッドが空くのを待っている様子だった。やはり、この治療体験はスイスではスタンダードだったのかもしれない。人間の身体に石の詰まる話、この行き詰る経験は、今後もこの病棟で続いていくのだろう。