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英国に住む義理両親宅にブロードバンドを導入させようと考えている。彼らには子供たちの面倒をみてもらっているために、連絡を密にしなければならない。彼らも安いフライトでしょっちゅうスイスに来たい。情報を得るのも本屋よりもネットの方が数段楽で、安い。それでも、彼らにはどうもその必要性が感じられないようだ。
そう、感じられないのであって、考えられないわけではないのだ。
いや、その利便性などが判らないから、やはり感じられない程度のものかもしれない。
義理両親は73歳と68歳。かなり保守的、且つ質素倹約な生活ぶりで巷の同年代をも驚かす。例えば、シャワーがない。電子レンジがない。台所のクッカー・オーヴンは40年もので、マッチを使う。洗濯機は35年もので、次に壊れたら部品の供給がない。つまり、新品を購入してから消耗部品が壊れるたびに部品を買い足していたことになる。部品代は35年間で3倍に跳ね上がったそうだが、最後に買ったときは5ポンド(1300円くらい)だったそうだ。
こんな両親にどうやってインターネットの利便性を伝えられようか?
これは反語文ですな。
最近のPCはブロードバンド対応しているのに、彼らが使っているのはせいぜいe-mail. それも「読んでくれ」と電話を入れないと開かない。
彼らをネットに目覚めさせる方法はないものか?
「浦島太郎になっちゃったわ~」などと言うつもりはないものの、勝手知ったる英国の街中も多少変化している。
変化していないのは肥満者が多いこと、いきなり列車が1時間も遅れたことだった。
義理両親に余計な迷惑を掛けまいと空港から電車で帰ることにしていたので、それは覚悟の上だった。しかし、券売機の前で驚いた。
片道 23ポンド (約6千円)
往復 24.5 ポンド(約6千4百円)
日本だとそれだけ払えば、鈍行で東京から熱海まで行けそうだが、在来線ではそういう料金体系はないかもしれない。空港から義理両親宅まではせいぜい30キロだ。熱海はその3倍の距離かな。
数字はいいから加減だ。なぜなら、今はインターネットコネクションが不満足状態。それでも
スイスでも毎日料金にびっくりものだが、英国でも運賃に驚いた。昨年の5月に銀座の姉御がロンドンに来たときに、「初乗り1000円の地下鉄に乗ってみた~い」と言うので、そんな凄い料金を払ったことないなあ、と思った。
まあ、安く乗る方法はいくつかあるけど、何も知らない人々に千円の初乗りを公にする国も珍しいのではないだろうか。この辺を「地球の歩き方」などでちゃんと説明していれば、旅行者にも喜ばれるような気がする。それだけロンドンの物価は高い。
しかし、高いと言えば、スイス。そんなスイスでも英国ほど公共交通は高くない。やはり英国よりはマシなんだろうか。国民の信頼を得ているのかもしれない。スイスに地下鉄はないが、バスの初乗りは300円くらい。でも、これを安くする方法はある。1時間乗り放題で220円にすることが可能だ。
その方法を記述しようと思ったが、入手するべき手続きとカードの名前が思い出せない。フランス語はすぐに忘却のファイルに転送されてしまうようだ。
ネットで調べろって? でも、ダイアルアップ回線ですよ。
義理両親は敬虔なメソディスト派の信者であります。うぐぐ。
コメント返し不可、許されたし。
昆布、カツヲ節、炒り子、干ししいたけ、煮干…、
和食の旨みにはバリエーションがある。組み合わせれば、もっと凄いことになる。日本にいる頃の拙はいくつかの出汁を作っては、瓶に数日寝かせて、それぞれを微妙に組み合わせるなどという暇なことをしていた。
そんな味付けの料理を食べるのは当時10歳前後だった拙の子供たちと妻が主役だった。来客はその味を口にして、単なる煮物の筈が「この味付けは何?」と驚かれる事もあった。お気に召さないヒトはたぶん居なかったと思う。拙は招いた相手のことを考えて味付けをしていたので、あまり大きな見当違いはしなかったと思う。食事は出汁の味と組み合わせで如何にでも変えられる。
しかし、スイスではこんなことはしない。出来るだけ地元の食材でなんとかするというのが、拙のやり方だ。なにもフードマイレージという環境用語に影響されたわけではない。むしろ、日本独自の昔からの食哲学に通じるものだ。
「身土不二」(しんどふに)という言葉はもともとが仏教用語だ。因果応報転じて、「土は切り離せない」という意味に変化している。土とは風土、つまり周辺環境のことで、特に土の自然環境を意識した言葉ではない。
1907年ごろ、陸軍軍医の石塚左玄は食養学を提起し、「身土不二」(しんどふじ)を提唱した。居住地の自然環境に適合している生産物を主食に、副産物を副食にすることで心身もまた環境に調和する。「郷に入れば郷に従え」ということか。
1945年、戦前の食料不足に対応したソイル・アソシエーションが活動を開始する頃、石塚の身土不二活動は日本ではだいぶ下火になっているが、その且活動内容は今日の英国のソイル・アソシエーションが提唱する「健康な土と健康な食物」の定義と同じものだ。
さらに、もうひとつの気づきがある。身土不二活動が日本で呼び起こされた1900年代初めは白衣の天使フローレンス・ナイチンゲールが看護学を確立した頃でもある。軍医であった石塚はナイチンゲールの成果に着目し、看護学と予防学と栄養学との間に接点を見出していたのかもしれない。石塚は現地での兵站調達をする専門官を作るべきだと提案していた。
この一連のダイナミズムが、異なる地点で、異なる時期に、新たな時代をつなぎ合わせるように継承されてきたことは、歴史が有機的な繋がりを持つことを説明するのではないだろうか。それぞれの学者たちや活動家に情報を交換する手段があったとは言えない時代の話。
こういう流れを見ていて、今自分の立ち位置を知りたくなる。
生活の変化とともにダシもずいぶんと変化してきた。日本では自然ダシを使っても家計の負担にはならなかったが、英国やスイスでは自然出汁など望むべくもない。明治の始まりごろ、英国船が北海道から昆布、干し貝柱、干し海老などの乾物を輸送し、「食は広東にあり」という言葉を創出した。しかし、当の英国シェフたちは昆布に見向きもしなかった。悪食と言われる英人にはこういう隠れた秘訣が見えないのだろうか。料理など中国人のシェフに作らせておけばよかったのだろう。
日本は美味さの美国だ。我々は実にいい国を選んで生まれてきた。
今後のスイスでは地元の食材や調味料を使って似非和食は作れるようになるだろうが、それまでに失敗も繰り返すだろうし、失敗は
日本人として誇りたくなる製品がいくつかある。ABS樹脂などのハイポリマー製品、すなわち日本のプラスチック製品は世界のどこに出しても恥ずかしくないものではないか、と思っていたりする。
でも、最近になって環境問題となる処理の面、リサイクル面、生物多様性面からはプラスチックはいまだに敵対関係にあるだけでなく、「日本製が最高」と思っているのは、日本人だけの思い込みであるかもしれない、という場面に多々遭遇してきた。
関西の方々には少々失礼かもしれないが、例え話をさせてもらうと、「大阪が一番や。東京には負けへんで」と言いながら、東京の人々には「ふーん。だからぁ?」と相手にされない状況だろうか。こういうやり取りを見ていると、「なんやぁ、気取りやがって」と反応する大阪人に対して、東京人は「いや、別に悪気はないんです。ただ、なんで張り合うかなあ、と…」
張り合う気持ちは判るものの、単なる空回りになってしまうのはエネルギーが勿体ないような気もする。拙に言わせれば関西は関西で何でも美味いし、東京などより熟成した言語文化を持っているのだから、ただ普通にしていれば、誰もが認めてくれるものではないだろうか。
さて、この話はここからサランラップに繋がる。サランラップに関する限り、いや、数々の日本製品を欧州人に紹介する中で、拙も関西人になってしまう。日本に一時帰国すると、土産として必ず持ち帰るものは文房具とサランラップなのだ。そして、妻や拙宅に訪れる英人たちに、「うりうり、日本のクリング・フィルム(サランラップの一般名)は凄いだろ」と自慢しまくるのである。
ところが、上述の関西と東京の展開のごとく、拙とサランラップは相手にされない。では、と、セロテープ、ガムテープ、プラスチックホルダーなど使いかっての良い製品を使わせてみても彼らは無反応である。
ヨーロッパ近辺で日本と同じ品質のものを求めるとしたら、それはかなり限られるか、目の玉が飛び出るほど高価になる。クリング・フィルムは薄すぎて、且つ切りにくく、すぐに芯に巻き込まれてしまう。一枚を引き出すのは時間と手間が掛かる。
セロテープやガムテープも薄くて、割れるように切れてしまう。横からの力には強いが、縦からは簡単に切れてしまう。付着剤も質が悪いので、剥がすと粘着在が付着してもう使いものにならなくなることも・・。
そういうものらと比較すると、日本の文具は品質もよく便利だから、外国では絶対に売れるだろうと考えるが、既にセロテープやガムテープは適度なものが市場に存在していて、日本から高価な文具を輸入するメリットなどない、と考えるのが英国式であると、元コクヨの社員とゼブラ社の社員から聞いたことがある。英人も欧州人もどちらも、こういうのが普通であって、不便に感じないのだ。
「お前たちには生活品を良くして行こうという向上心がないのだ」と妻に言っても、「そうかもね。でも、日本の便利さはtoo muchだって、アナタも言うじゃない」と言い返される。しかし、なぜこんな品質で我慢できるのか。はたまた、日本製品を便利と思わないのか、日本人だけが特別なんだろうか。
根元から折れた歯はやはりNHS製。
歯医者はプライベートにしなければならないのだろうか?でも、この治療を受けたとき、歯医者は「僕もこれと同じ治療を受けたよ」と言って、彼の臭い口に指をねじ込んで開いて見せた。「ああ、なるほどね」と思って、そのまま治療を受けることにしたのは昨年7月末。
と、言うことはパーマネントと言われた治療は僅か6ヶ月しか持たなかったわけで、パーマネントの意味が判らなくなる。もしかしたら、拙の寿命は歯医者によって「あと半年の命です」と診断されていたのかもしれない。でも、何を根拠に????
さて、そろそろ始動再開。
スイスならではのことどもをなんとか書き溜めて行きたいと思う。
文章の売れない時代ではあるが、「ワイン日記」「路線バス日記」「裏道日記」「お粗クジ日記」などなど時間の許す限りやって行きたい。