[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
20年ほど前、初めてパリに行った時、
同地に勤める同僚が「何食べたい?」と聞いてくれたので、「ヴェトナム料理」と答えた。
bellvilleだっけ?そんな地名のエスニックエリアで、日本で言うなら場末のラーメン屋という感じ。
越南麺フォーのことを、同僚はヴェトナムラーメンと言って紹介してくれた。
ハーブなどの香菜をてんこ盛りで食べるフォーは最高だった。
パリに何度も来ている人なら、今日は越南料理と言っても不思議ないが、拙はフランス料理にはあまり感動しない。むしろ、鮭ハラスと塩昆布で作ったお茶漬けに感動する。
この時まで、ハーブ類はちょっと苦手だったのだが、これでその味の良さがよく判った。
まさにヴェトナム料理様様である。
今日行ったのはジュネーブ国境から200m超えたフェルネの市場の近く。
昔はパリに店を持っていたらしいが、落ち着きが欲しいと言って、わざわざジュネーブ国境にまで越して来た85歳のお婆さんとその娘。
連れて行ってくれたのは法律家T氏。彼は英語も仏語も操るコミュニケの達人。
この店には彼のお決まりコースがあって、メニューTと言われる。
次回、T氏抜きで来るときにはメニューTと頼めば良いと言われた。
頂いたのは海老入り生春巻き、ビーフンとサラダと各種チャーシューのサラダ(?)、そしてフォー。この3種でお腹いっぱい。
この美味さを表現するのはけっこう難しい。そもそも美味さとは何なのだろうか。
見た目の美しさや豪華な料理よりも、丁寧に作られて安心感を与えてくれる食べ物に心が動かされる。
食べ終わってからシェフが挨拶に来るような一流レスタランよりも、カウンター越しにマスターと話しながら食べるその料理に感動させてもらいたいと思う。
そろそろ荻窪に行きたくなってきたなあ。
初日はさらに先のヴェヴェイというチャプリンの住んだ街で、コモンウェルス戦没者慰霊祭に参加。
当時敵国だった日本人の拙が参加できるようになったほど世の中は成熟している。
参加者の中には当時従軍して日本軍に脚を撃ち抜かれた爺さんもいた。でも、わざわざズボンを脱がないで貰いたかった。
拙父が生きていたら同じ年くらいか。つまり、90歳くらい。
年に何回かこの慰霊祭が行われるので、聞いてみると英連邦内でその記念日が異なるからとのこと。
今回はオーストラリアのための慰霊祭。
ヨーロッパまで派遣され、スイス近辺で命を失った兵隊も少なくないらしい。
記念日の象徴と言えば、英国ではポピー。
豪州は開花時期のローズマリーを胸に飾る。
慰霊祭の後はチャプリンの銅像へ。
この景色を眺めながら亡くなったんですなあ。
やはり晩年はスイスか。
右に立っているのは巨大なフォークでやんす。
土曜日はU19女子サッカー、スコットランド対スイスを観戦のためローザンヌへ。
女性でも凄いキック力なのね。
これぞプロと思わせる選手ばかりだった。
結果は2対2.
29日にデンマーク戦が同じ場所で行われるが、ただ今仕事を調整中。
で、日曜日。
オリンピック博物館の一室を借りて、British Residence Associationの年次会議。
昼食では協会会長と英国のべカナムテニス競技場のオーナーである人物と同席。
貴賓席なので、すべての信号はここが発信。
拙がジャケットを取れば、他のテーブルの皆もジャケットを脱げる。
これが国際プロトコルの一旦だ。
皆さん、暑そうだったので、拙は率先して脱いだのだが、英国紳士の皆様、汗をかきかきディナーに興じる。
ディナーは美味かった。ローザンヌの景色も最高だった。博物館は北京一色。
マーラは行くんだよなあ。
家の中に何日も篭っていたかと思うと、昼夜を問わず招かれる機会が続くこともある。
良い出会いがあると時間を費やした甲斐があったと思う。
特に今週はいろいろと良かった。
ジュネーブ日本総領事館の表に飾られたコイノボリ。
全長15mくらいかな。
ウインドウの中に入って撮らせてもらいました。
ジュネーブで最初に知り合った方にミョウガの根を分けて頂いた。
夏の終わりまで芽を出し続けるとのことなので、とても楽しみ。
その頃には紫蘇の葉も大きくなっているだろう。
さて、表題の+91とはインドの国番号。
最近のインドはどうも元気が良い。
在欧州のインドコミュニティをさらに活性化させようとインド系英国人Rが立ち上げたプロジェクト名でもある。
先日、レマン湖畔のThe Four Seasons Hotelで立ち上げレセプションがあって、日本人の拙も招かれた。
お陰で仕事関係の良いコンタクトが作れたのだが、皆インド人ではなかった。
RのGFは美貌のスイス人で大手金融会社の若きダイレクター。
彼女にそのことを告げると、
「国なんか関係ないの。そういう機会の中で繋がっていくことが大事なのよ。それも友達としてね」
そういえば、今年はスイス-インド友好協定から60年だそうだ。
1948年という二次大戦の世界混乱の時期にそうやって協定を結んでおくとは素晴らしいタイミングだ。
このレセプションはその60周年記念イベントのひとつでもあるらしい。
ジュネーブ周辺は春になると華やかになってくる。
昼間は140mの高さの噴水に吹き上げらたような風景。
ユーロ2008ももうすぐだ。
The Four Seasons Hotelのバルコニーから。
7時を過ぎると噴水は終わり。
飛行船ボールの直径は不明だが、10m前後か。
今日もこれから戦没者慰霊祭。
ユネスコ主催のイベントに参加してきた。
各国の代表者がそれぞれのプロジェクトについてプレゼンする。
5名中、2名がフランス語だけど、プロジェクターに映し出されたグラフから内容は読み取れた。
他の3名は英語。日本人代表者もいて、けっこうプレゼンに手馴れている印象。
会社人であった頃、外国人からよく聞かされたのは、
「日本人はプレゼンが下手だ。それは指導力にも影響している」
一般的に言えば、本当にそうだと思う。
でも、普段は的確なマネージメント能力を発揮しているのに、プレゼンとなるとしどろもどろの人物もいた。
何のためにプレゼンをするのかが判っていないかのような印象を受ける場合も少なくなかった。
一方、プレゼンの上手な人は指導力もある。
話が明快で判り易いからだろう。人の気持ちになってそれを考えることが出来るからだろう。コミュニケーションが上手いわけだ。
日本人でプレゼンの上手い人の出身を聞くと「ワセダの弁論部でした」とか、海外の大学で教育を受けて来た人々が多い。
日本で弁論部に入る人たちは、生まれつき議論やコミュニケーションの上手な人や積極的な人が多いような気がする。
しかし、欧米で子供のころからビジネス関係の教育を受けて来た人たちは、授業の一貫として、弁論を行ったり、プロジェクトについてのプレゼンをする機会を多く持たされる。誰もがプレゼンを行うので、その技術や多様性も大したものだ。
そして、良きプレゼンターは、皆をそのプロジェクトに引き込む良き指導者として目されるわけだ。
プレゼンにも、指導にもその人物の人柄や背景が影響してくるのは判るが、そういうことだけに頼っていては良いアイディアも埋もれたままになってしまうのではないだろうか、と常々思うところ。日本の教育は良き指導者を作る作業を怠っているのか、気付いていないのか。国際社会に出れば、誰もが気付く筈なのに。
昨日は某社特派員と、今日は妻と散歩。
どちらも仕事のような、そうでないような。
某特派員とは旧市街、妻とはフランス国境の山でワインカーブの宝庫。
経験のすべてがある種の還元をされて仕事になったり、水の泡になったり。
ロンドンでは何を書いても記事に採用されたが、ジュネーブではなかなか記事にされない。
発信数の問題だけではないだろう。
今は助走中かな。
助走が長すぎて、タイミングを失ったら元も子もないけどね。
突然、横浜平沼橋の踏み切り付近の呉服屋を思い出した。
ノスタルジーという単純なものではない。
その景色を毎日眺めていたころ、拙は人生の助走中だと自分に念じていた。
あの界隈には結構すごい芸者がいたのだ。昔はね。
数年前にはアザラシのタマちゃん騒動があった。
アザラシ肉ってけっこう美味いらしいけど、かつて世界で一番汚いと言われた帷子川で生活していた過去は、肉にとって犯罪者を入籍するに等しいかも。
もちろん、一般的な話。法や世論が許せば、拙ならタマちゃんを食べてみるだろうし、娘が過去の犯罪者とケコンすると言っても、ちゃんと話くらいはするだろう。
でも、内容次第では殴るかもしれないな。殴るタイミングを待っていたりして。